木こりと白猫2

黒衣森の南部。
アンテロープたちが草を踏みしめる軽やかな足音と、風に木々の葉が擦れて生じる囁きが、静寂のうちに響いている。
人の気配は、限りなく薄い。

その爽やかな緑の中で、大男はつい先程知り合った吟遊詩人の老人と焚火を囲んでいた。
伐採したばかりの木から薪を分ける代わりにと、老人が詠う詩句に耳を傾ける。
穏やかな時間だ。

その、穏やかで物悲しい琴の音色の間に、ふと違和感が混じる。
それは老人から滲むものではなく、第三者からの見えざる圧だ。
つい数日前から大男の背中に注がれる視線。
ちょうど一休みを入れるこの時間帯に、何者かはやってくるようだった。
普段と違うのは、その何者かが、分かりやすく気配を醸していること。

老人も何かを感じたのか、問うように大男へ目配せする。
大男は苦笑すると、老人へ軽く会釈して立ち上がった。

「……自分の客のようです。失礼」

自分はいつもここに居る、という老人の言葉に再会を約しつつ、静かにその場を離れた。
気配はやはり自分を追っている。
用心の為に、じわりと全身に力を漲らせていく。

「…………元兵士というのは、確かに間違いではなさそうだな」

大男の背後で、さくりと草を踏む音が鳴った。
同時に投げかけられたのは、愛想のない声。

兵士、という言葉に反応して、背負った斧に手を掛ける。
そのまま肩越しに振り返ると、小さな人影のみ確認できた。

「……何者だ」

男の問いに、金銀の目が細められた。
その色合いは、どこかで見覚えがあるだろう。
草で編まれた質素な服も、ゆったりと揺らす真っ白な尾も、記憶からは程遠いためにすぐの判別は難しい。
男にとってさほど重要な思い出でもない。
クルザスの雪ほど白い、ミコッテの耳がぴんと跳ねた。

「要らん世話を焼いた相手の顔も覚えていられないのか?図体に比べて頭が悪いのか」

生意気なミコッテだった。
ミコッテに関する出来事はそう多くない為、先日の出来事をふと思い出した。
が、記憶にある者と目の前の白いミコッテがどうも重ならない。

「……人違いじゃないか?他人に世話を焼く程、余裕はないんだ」

面倒になり、誤魔化す事にした。いつものことだった。

途端に、白いミコッテはむっと眉間に皺を寄せる。
威嚇の表情にも見える、猫の顔だ。
苛立たしさをそのまま、荷を放り投げる力に加えて。

「どの口が言うんだ!」

草で編まれた糸で、きちんと結われた衣服。
先日、あの傷ついたミコッテにかけてやったままの作業着だ。
これまた綺麗に洗われて、ほつれや穴まで直っていた。

「む、っ」
見覚えのある作業着を眺めて、ようやく記憶と目の前の者を重ねて。
しかしまだ納得できないようで、訝しげにそのミコッテを見る。

「……お前、あの時の?」

薄汚れた傷だらけの鎧姿と、目の前の白いミコッテがどうにも重ならず。
何より、わざわざ自分を訪ねてきたことが理解できずに居た。

「やっとか!?そこまで記憶に薄いのか!」

ふーっ、と怒りの声を上げると、尻尾の毛が逆立った。

「失礼で身勝手な奴だと思ってはいたが!!」
「いや……色々と、思い至らなくてな」

ミコッテの怒りの様子に首を傾げつつ。
斧を背負い直すと、作業着を雑に肩にかける。

「……何故ここに?わざわざこれを届けに来た訳でも無いんだろう」

男の問いに、膨れた頬から空気を抜くがてら唇を尖らせると、ミコッテは少し言葉を迷って、尻尾の先を泳がせて。

「…………見ての通り、大分動けるようになったからな。要らない世話だったが、助かったのは事実だし……忌々しい奴らの一味だと思い込んでしまったのは……悪かった、し」

不服そうにゆっくりとではあるが、きちんと腰を折って。

「…………その節は、すまなかった」
「………」

一瞬、男は呆けたように口を開いて。
そのまま思わず吹き出した。

「……何だ。ミコッテにしては律義な奴だな、坊主」
「ぼっ……!?」

抗議しかけた声が萎んで、ただただ大男を睨み付ける。

「女神メネフィナに誓って、礼は守るし恩は返す!馬鹿にするなよ、ハイランダー!」
「……悪かった。そう猛るな」

宥める様に苦笑を向けて。
ふ、と落ち付いたように一息吐くと、再び背を向ける。

「……要件は済んだか?誰に何を聞いてきたか知らないが、俺は見ての通り木こりなんだ。仕事に戻る」

歯噛みすれば、ムーンキーパー特有の牙が、怒りでぎらぎら光っている。
背を向けてしまった大男に、一、二歩だけ寄って。

「待て、まだ済んでない。恩は返すと言っただろう。私はお前みたいな男は嫌いだが、命を助けてもらった大恩があるんだ。何かで返す必要がある」

引きとめる言葉に歩を止め、男は振り返る。
呆れか苛立ちか、眉間に僅かに皺が寄る。

「……結構だ。強いて言うなら、これ以上邪魔をしないでくれ」
「だからここ数日お前のことを観察していたんだ」

聞いていない。
故意にか、それとも本当に聞く気がないのかは判断がつかない。
不遜で、横暴とも思える調子で、ずけずけと続ける。

「お前みたいな朴念仁が欲しがるものなんか思い付かないし。元兵士だというのはあの教会の神父からきいてな、前線からは完全に引いているようだから、武器をくれても仕方ない……」
「……やっぱりお前だったのか。全く……」

ここ数日の妙な気配と、神父の人の好い顔を思い出して、忌々しげに頭を掻きながら。

「………お前、こんな所で油を売っている暇があるのか?」

冷たく、突き放すような声色。
事実、そうしようと言い放つ。

「その、忌ま忌ましい奴らとやらとの件。昨日の今日で解決したとも思えないんだが?」

その声音に、反抗するように顎を上げると、金銀の目がまっすぐ大男を見て。

「私だって、お前にかける時間が惜しいんだ。でも礼を尽くさないままじゃ誰にも顔向けできない……お前の余計な真似のお陰で永らえた命で戦うのだし。筋を通らない奴らと同じになりたくない」

「そもそも先に手を出してきたのはお前だろう。乗り掛かった船なんだから、ちゃんとけじめをつけさせろ。……あ、肉。お前最近肉は食べられているのか?」

話の通じない様子に、明らかに苛立ちを表して。
敢えて問いかけを無視し、忠告を続ける。

「惜しいなら、無駄な時間を使わずに逃げたらいい。出来るだけ遠くに行け。……戦っても、あの調子だといずれ死ぬぞ」
「……死ぬなら、それで構わない」

剣のような表情と裏腹に、呟くミコッテの声は静かに凪いでいた。
携えた剣が微かに金属音を立てて。

「帰る場所も失ってしまったから。私に残ってるのは、怒りと、図らずもお前に貸しを作ったままという未練だけ」

「すべて洗い流してから、心置きなく剣をとりたい。…………お前には分からない感傷だろうけどな」

「分からんな。分かるはずもない」

先程までの苛立ちとは違った、また別の激しい感情を湛えた瞳がミコッテを射貫くように睨め付けた。
僅かに震える声色は、何かを堪えるようで。

それに賢しく口答えしようとして、ミコッテは唇を引き結んだ。
男がその目に湛える感情に怯んで――――震える声が、何故か頼りなくいとけないもののように聞こえたから。
金銀の眼差しが、男の表情を、沈黙のまま見守って数秒。

「……質素、というより、雑な生活をしているだろう。森で生きるならもう少し力をつけた方がいい」

視線をつんと逸らしてやると、足音も軽く森の奥へ向かおうとする。

「待ってろ、今狩ってくるから」
「……お、おい坊主!人の話を――」

自分の言葉が伝わっていなかったことに気抜けしつつ、跳ねる様な軽やかさで駆け出すミコッテの背に、思わず声を掛けて。

「坊主じゃない!!……」

思わず怒鳴り返しながら、尻尾を逆立てる。
それから、少しの間迷って。

「……ネムだ。私はネム」
「……、…ネム……」

小さく呟いて。男は迷うように視線を伏せて、やはり諦めるように一つ溜息を吐く。

「……ジョナサン。ジョナサン・ギデオン」
「じょ、な、さん?」

言いづらそうに繰り返すが、ネムにはそれが何を指すのか、すぐには分からなかった。
どうにも頑なな男がその名を教えてくれるとは思わずに。

「……じょにゃ……じょな、さん」

もう一度、辿々しく繰り返してから、やっと頷いて。

「…………良いか、逃げるなよ!……仕事をまだするなら多少動いても良いけど。お前なんかすぐ見つかるから」
「……好きにしてくれ」

諦めたように呟くと、ジョナサンはすぐ傍の木に歩み寄り斧を振りかざして。

「好きでやってるわけじゃないぞ!」

そう一言言い返すと、ジョナサンと名乗った男が、木に斧を打ち付ける音に紛れて土を蹴る。
数歩跳ねては、ジョナサンに移動する素振りがないか、振り向いて確かめながら。

確かめる度、変わらずジョナサンはそこに居て。
かつん、かつん、と甲高い音が森の中に響き続けていた。

  • 最終更新:2018-02-15 19:59:07

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