木こりと白猫3

黒衣森南部、ゴブリン隊商の宿営地の中。
湧き水の溜まった小さな池に、左腕を浸している大男が居た。
げたげたと騒がしいゴブリン達の声に、少々辟易した表情を浮かべている。

清水の流れる音に混じって、さくさくと草を踏む音が高くなる。
肥えたアンテロープから削いできた、立派な骨付きスネ肉を手にぶら下げて、真っ白な毛皮のミコッテは、きょろきょろと何者かを探しているようだった。

「……あっ!」

ゴブリンたちの喧騒の間に滑り込むような、ネムの鋭い声が上がる。
周囲の蛮族たちを警戒しながら、とたとたと緩やかな坂を下って。

「じょにゃ…………お前、確かに移動しても構わないとは言ったけどな!」

一斉に声の方向を見たゴブリン達を制止するように手を挙げながら、ジョナサンは肩越しに背後を振り返って。

「……騒ぐな、坊主。皆が驚く」
「坊主じゃない!!」

しゃーっ、と怒りの声を上げながら、手にした肉を棍棒のように振って。

「言いたいことは山ほどあるが、なんでゴブリンがこんなにいるんだ!仲間か!?」
「……彼らはクォーリーミルまで商売をしに来たキャラバンだ。グリダニアまでは入り辛いらしいからな」

そう説明しながら、ジョナサンは湧き水にさらしていた左腕を上げて、確かめるように手を開閉する。

「俺はキャンプの隅を借りていただけだ」
「商売を?」

丸い瞳孔の猫の目がきょろきょろとゴブリンたちを眺めながら、軽快に水辺の坂を滑り降りる。
近くにきたとは行っても、何かあればすぐに駆け出して逃げられるほどの距離について。

「ふん、まず受け入れられないだろうな。グリダニアの人々は商売人みたいな、がめつく売り込んでくる奴が嫌いだ。余所者とあればなおさらな」
「ほう……グリダニアの奴らより、彼らの方がよっぽど付き合いやすそうだな」

ふ、と嘲るように笑いながら、濡れた左腕をシャツの裾で拭う。
引き攣れた古い傷を隠すように革手袋を着けて。

「……それで?何のようだ」

ジョナサンの言葉に、む、と眉根を寄せるも、それはネムも同意できる言葉でもあったらしい。
堅苦しいフォレスターはあまり好きでない。
それから、革手袋から少しだけ覗いていた傷跡を見たのも束の間。

「肉だ!!狩ってくるって言っただろ!」

ずい、とアンテロープのスネ肉を差し出しながら、そろそろ寄っていく。

「肉だな……」

肉を一瞥して、すぐにそれを持つネムを見上げる。

「……お前、俺を雛鳥か何かだと思ってるのか」
「ひなどり……」

ぱちくりと大きな色違いの目を瞬かせると、口角が不馴れにひきつった。
およそしばらく笑顔になっていない頬の動きだ。

「お前みたいなゴツい雛がいてたまるか。よくてベヒーモスの幼体だな」
「ふん。ベヒーモスに世話焼いてどうするつもりだ、坊主……」

もう一度肉を見て、生のままなのを確認する。

「……食うなら火種を借りるといい。すぐ焼けるぞ」
「坊主じゃないったら!!」

尻尾の毛を逆立てると、肉とジョナサンを交互に見て、ずいずいと手渡そうとする。

「それに世話してるんじゃないぞ。私が恩に返せるものなんか、これしかないから。」

「今の時期のアンテロープは、寒さに備えて肥えてるんだ。うまいぞ。要らないなら売ればそれなりの金にもなる」
「それは、判ったが」

改めて、ジョナサンはまじまじとネムの顔を見上げる。

「……お前、食ってるのか?なまっちろい顔をして……この間運んだ時、体重も軽かったぞ」

「恩返しは判った。だから自分の事も考えるんだな」

こちらを向く視線に怯えているのか、それとも恥じらっているのか、ネムは眉根を寄せると伸びた前髪の向こうに表情を隠す。

「……お前の無駄にでかい体に比べたら、軽いに決まってるだろ……。食生活はそこそこ、良い、し……」
「無駄か……」

「確かにな」

呟きながら、ジョナサンはのそりと立ち上がって。
ゴブリン達の焚火の一つへ歩み寄っていく。

ジョナサンが動いた瞬間、ぎょっとネムの体が跳ねる。
緊張して睨んでいたが、遠ざかっていった広い背中に、ちょろちょろとついていく。

ゴブリンと何言か交わしながら、ジョナサンは焚火の傍に腰を降ろす。
後ろに付いてくるネムを確かめるように幾度か振り向いたが、声は掛けずに。

「…………」

さくさく草を踏む音も、窺うような金銀の目も、しっかりジョナサンのあとをついてくる。
木々に半身隠しながら。

「……食べないのか?肉は嫌いか?」
「……はぁ」

項垂れるジョナサンの代わりに、ゴブリンが興味ありげにネムをチラチラと見ている。

「………こっちに来い、坊主。一緒に食っていけ」
「……えっ?」

きょとん、と表情を取り落としたと思えば、さっと顔を赤くする。
おろおろと木の影から狼狽える目線を覗かせて。

「それは、…………そのぅ……」

「…………家族以外と食べるのが、少し……むずがゆいというか……お前たちそういうことないのか……?」
「ないな」

短く答え、焚火に向き直る。
ゴブリンがその代わりに、にくーにくーと騒いでいる。

「……あったとしても、忘れた」
「…………」

広く逞しいはずの男の背中が、妙に小さく感じられた。
二度三度、尻尾の先をゆらゆら揺らしてしばらく考えこみ。

「……まあ……なら……気にするほどでもないのか……」

そう呟きながら、騒ぐゴブリンたちを、肉塊をぶんぶん振り回して威嚇しつつ、やっと少しずつ火に近付く。

「こら!お前たちにやる肉じゃないぞ!ちゃんとそこの男に許可をとれ!」

脅かすネムと、それにわざとらしく怯えるゴブリンを落ち着かせる様に手を掲げて。

「止せ、坊主……勿論、一緒に食ってくれ。あまり量がないようだ、他の奴らには内緒でな」

その言葉に歓声を上げたゴブリンに、ジョナサンは、しー、と人差し指を向ける。

「むぅ……」

ゴブリンたちと、ジョナサンと、肉とを見比べていたが、そのうち視線は彼らの睦まじい様子に向いていく。
まるで子供をあやす父親のような、生徒を宥める教師のような、そんな奇妙な光景に首を傾げる。
火の熱が微かに肌に触れる距離まで来て。

「……随分、打ち解けてるんだな」
「ゴブリンは判り易いからな」

もっと寄って来るように、ネムに目配せする。
ゴブリン達もネムを、というか肉を待ちかねているようだ。

「……ヒトが嫌いな訳じゃないが」
「……面倒なんだろう。それなら少しわかる気がする」

ゴブリンたちの視線に、尻尾を縮めながらそろそろ寄っていく。
視線で人数を数えているようで、きょろきょろ首を巡らせて。

「ええと……、……肉だけじゃ間に合わないな……こいつら野菜は食うのか?」
「勿論。俺達が食えるものは何でも食うが……」

くうー、くうー、とゴブリンが続くのを苦笑して見て。
再びネムを見る。

「……野菜ならいくらかあるが、どうするつもりだ」
「うん、偉いぞ。それなら良いな」

何度か頷きながら、鈍い色のナイフを取り出す。
怯えていた様子は何処へやら、火の近くにどかりと座ると、肉にナイフを突き立てる。

茹で玉子の殻のように、リンゴの皮でも剥いているように、つるつると骨から肉を削ぎ落として。

「スープかシチューにしよう。それならこいつらもみんな食える」

ネムの言葉にゴブリン達がまた歓声を上げる。
制止を諦めたのか、代わりに溜息を一つ吐いて。

「それは良いんだが……お前が料理を?」

そこまで言った所で、ネムの手際に気が付く。

「意外そうにするな。……私だって、似合わないのは分かってるんだから」

拗ねたように口を尖らせると、手の上の肉をナイフで柔らかく叩きながら、浮かれるゴブリンたちを見て。

「遊んでないで、鍋を持ってこい!そのくらいはあるだろ!……酒はあとだ!あと!」
「……それ位は出来た方が、暮らすには困らないだろうな」

ネムのセリフにふと微笑みながら、ゴブリン達が鍋、湧き水に野菜を持ってくるのを眺めていて。

「きっとモテるぞ、坊主」
「…………」

怒りの目をジョナサンに向けると、勢いで肉を叩き切る。

「坊主じゃない!!……それに、嬉しくない!!」

ネムの反応の真意に気付かず、ジョナサンはふっと苦笑して。

「そう怒るな。お前が若いから、つい……な」

ネムを宥める様に、ゴブリンが回りでおろおろしている。

「お前な!ひとを子供のように扱って、ちゃんとお前らでいう成人だぞ!!」

ごうごうと吠えながら、ネムはゴブリンたちがあれやこれやと持ってくる野菜を切り叩いていく。
一口サイズよりも一回り小さく食べやすい、口の小さな相手に作るような大きさに。

「本当にデリカシーのない男だな!!だから図体ばかりの奴は嫌いなんだ!」
「……そうか」

ネムのどの言葉に対する応えなのかは定かではない。
勢いに負けたように、ただ短く。

「すまん」
「…………」

さらに吠えたてようとしたときに、男の小さな声が聞こえて、思わず口をつぐむ。
何故だか先程から、自分よりずっと大きく、力の強そうな、強面の男が、頼りないように思えて仕方がない。
つんと鼻先を、丁寧に切り揃えられた肉や野菜に落とす。
肉には胡椒や、切り刻んだニンニクをすりつけて。

「……もう良い!!」
「………む」

怒るネムに、ジョナサンは困ったように頭を掻く。
気付くとゴブリン達も此方を見ていて。
揃って肩を竦めながら、料理の様子を眺める。

「…………別に、怒ってない」

ぴたん、ぴたん、と柔らかそうな白い尻尾が、リズムよく地面を叩いている。
どこそこ、べこべこにへこんで傷付いた鍋に油をひいて、玉ねぎから炒め始めた。
鼻腔から目を貫くように立ち上る刺激が、甘い野菜の香りに変わっていく。

「……怒ってない、がっ、お前はその馬鹿さを何とかするべきだな!」
「それはどうにもならんさ、今更」

ジョナサンはそう言いながら、尻尾の動きを無意識に視線で追っていたが、漂ってきた香しい香りに目を細めて。

「は……久々に嗅ぐような、良い匂いだ」

ぴたん。ぴたん。
尻尾のリズムと、投入された肉の脂が跳ねる音が重なる。
人参やじゃがいもは、野営地近くの湧き水で綺麗に洗われて、皮ごと切られてごろごろと鍋に放り込まれた。
強い火の勢いに、皮や肉の表面がこんがりと焼けていく。
それを見守るネムの目はすっかり静かで、穏やかで、具材を優しくつつく手付きは、幸福な思い出を彷彿とさせる。

「……久々に?」

遠い日へ陥りそうだった意識が、ネムの問いに引き戻される。
はっとそちらを見て、ジョナサンはゆるりと首を横に振る。

「……いや。しばらく料理をする事がなかった。それだけだ」

その返答に、怪訝そうな目を火に輝かせながら、ジョナサンを見る。

「お前、今まで何を食べて生きてきたんだ?まさかこいつらに、」

言いながら、自分の皿を抱えて並び始めたゴブリンたちをずらりと眺めて。

「給事でもさせてたのか?」
「さっきも言っただろう。俺は彼らのキャンプの隅を間借りしていただけだ」

ゴブリンの列を見て苦笑しつつ、自分の分は考えていない様子で。

「森には色々と食えるものがある。知ってるだろ」
「そりゃあ、……そのまま食べれる、くだものとか……野菜も。ある、けどな……」


水を加えて煮立たせれば、塩を少しずつ振っていく。
ジョナサンに応えながら、まさか、まさかと、恐る恐る問うようにネムは首を傾げてみて。
前列のゴブリンが何人か真似をした。

「……木の実も茸も山菜もある……焼く位だけどな」

対するジョナサンは、首を傾げるネムに気付き、訝しげな顔で。

「果物が好きだが………何だ?」
「にゃ…………」

思わずネムは気の抜けた声を上げて、ゴブリンたちとうっかり目を合わせる。

「……何でも食うのは、偉いぞ。……あの……焼くって。本当に焼くだけじゃないよな?」
「……さすがに塩を振ったりはするぞ?」

質問の意味が分からない、といった風情でついにジョナサンは首を傾げて。

「何が言いたいんだ」
「もっとまともに食べろ!!」

凄まじい剣幕で吠えると、大振りの皿にさっさとシチューを盛ってやる。
簡単に味付けをしただけの、歯応えの強すぎる肉が入った、玉ねぎがよく蕩けたアンテロープシチューだ。
それをずいとジョナサンに渡してやると、次々ゴブリンたちに配膳する。

「森のものはもっと美味い食べ方がいっぱいあるんだぞ!!横着するな!!野菜や果物ばっかりでも栄養が偏るし、魚や肉だって……」

「……このシチューだって、もっとちゃんと美味しくできるのに……」
「……」

ネムの剣幕に押されるように、受け取ったシチューを一口、二口と口に運ぶ。
黙々と食べて、ふと。

「……うまい」

真っ白な耳がぴんと跳ねたと思うと、ゴブリンたちにシチューを配っていたネムの手がふと止まる。
しばらく聞かなかった言葉を手繰るように、丸い金銀の目がジョナサンを見る。

「……肉が、まだ固いだろう」
「食い応えがある」

短く答え、尚も黙々と食べ続けている。
それに反する様に、ゴブリン達がわいわいと騒ぎ始めて。

「あっ、ああ、こら、並べ、配るから!ちゃんとまだあるから」

慌ててネムは配膳を再開する。
ぴたぴた地面を叩く尻尾は、少し弾んでいるようだった。

「本当は、少しワインを使った方が美味いんだ。肉も柔らかくなって、食べやすくて……」
「……充分だ。これで……」

綺麗に器を空けると、ジョナサンは大仰に嘆息して。

「皆にも食わせてやってくれ」

せっせとゴブリンたちに配ってやりながら、空の器を見る。

「……足りるのか?そんなにでかい図体なのに。……やっぱり肉は好きじゃないのか?」
「そんなことはないが……いきなりマトモな飯を食ったら、腹がびっくりする」

真顔のままで言い放って。

「……あと、どちらかと言えば……果物の方が好きだ」
「……一体、お前いつから……」

いつから、まともな料理を口にしていないのか。
そう問おうとして、ネムは男を改めて観察する。
ハイランダーという種族はほとんどが、上背があり、筋骨隆々で、ジョナサンも例に漏れずそうだ。
けれどもしかしたら、もっと逞しかったのかもしれない。
意外と可愛らしい好物に、口角を微かにひきつらせて。

「……何だか、お前の方が死にそうだな。痩せ細って、少しずつなくなってしまいそうだ」
「………」

ネムの言葉には応えず、しかし肯定するかのような、妙に柔和な表情で。
ネムには、諦観と絶望が僅かに垣間見えただろうか。

すっかり配り終える頃には、並んでいたゴブリンたちも思い思いの場所で火を囲み、シチューを貪っている。
空になった鍋は少しだけ寂しそうだ。
焚き火の明かりに浮かび上がるジョナサンの表情を、しばらく、ネムは静かに見つめている。

「…………そのくせ、ひとの命ばかり心配してるのか。ばかだな」
「……お前の時は偶々だ。俺はそんな奇特な人間じゃない」

焚火の燃え滓を突きながら、搾り出す様な静かな声で呟いて。

「生き残ったのはお前の運だ。だからもう、恩など感じなくても良い」
「……そう、か」

細めた金銀の瞳は、微笑みの形に見えた。
音もなくしなやかに立ち上がると、炎の光を受けて、真っ白な尾がぬるりと輝く。

「私は全然、報いた気はしないが。お前がそれを鬱陶しいと思うのなら仕方がない」

「だから次は嫌がらせをしてやる」
「………ん?」

聞き間違えたかと思い、視線を上げるとネムへ向けて。

「………お前は……!」
「ふん!」

鼻を鳴らして二度も土を蹴ったかと思えば、ネムの身は軽く離れている。
満月をふたつ並べたような瞳を輝かせて、重厚ゆえにミコッテよりもずっと愚鈍な男の身体を、坂上から見下ろす。

「お前が助けた私がのうのうと生き延びて、お前はずるずる死に向かうなんて、許さないぞ」

ジョナサンは釣られる様に立ち上がると、そのままネムの姿を目で追って。
何故、と言わんばかりに首を振る。

「……お前は自由なんだ。構うな…」
「…………お前は……」

少しだけ言葉を迷うように、尻尾の先が宙を巡る。

「構われたくなければ、いくらでも突き放したり、酷いことができるのに、しなかったな」
「……俺は突き離しただろう」

苦笑しつつ、ジョナサンは静かに言い放って。

「お前が俺の思った以上に変な奴だっただけだ」
「変な奴とは何だ!!お前の押しが弱いんだろ、へなちょこめ!」

真っ白な尻尾の毛を逆立てて、牙を剥きながら。

「お前なんか、美味いものに囲まれて、もっとヒトらしく生きて、未練たっぷりに寿命で死んだら良いんだ!」
「………」

ジョナサンは目を丸くして。
一瞬、ネムの言った事を理解できずに居たが。

「………お前、それ……悪口のつもりか?」
「やかましい!!」

理不尽に怒号が上がった。
それからはもはや、聞く耳持たぬといった調子で、ネムはずんずん遠ざかっていく。

「いいか、また来るぞ!果物が好きだって言ったな!お前がちゃんと生きられるように、生活力を叩き込んでやる!」
「お、おい……」

何も言えぬまま、ジョナサンは遠ざかる怒声と小さな背中を眺め続けて。

「…………やっぱり、変な奴じゃないか……」

腹を出して寝るなよ!
と、聞こえたか聞こえないか、そこでネムの気配は森に紛れた。
残されたのはゴブリンたちの宴の騒音と、仄かなシチューの香りのみである。

  • 最終更新:2018-02-15 20:29:12

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