木こりと白猫4

ロウアーパスから北に向かう道を、軽い足音が駆け抜けていった。
走るに合わせて真っ白な尾が、右に左に揺れている。
根渡り沼のあたりでは、黒衣森原産の、ブラッドカーラントという果実が採れる。
野生ではあるが、栄養の行き渡って丸く太ったこいつは、甘酸っぱくて美味しい。
鞄いっぱいに詰め込んだネムは、あの無礼で不躾な木こりにくれてやろうと、心持ち急ぎ足でいた。
その途中、バスカロン・ドラザーズに立ち寄る。
ここではどんなならず者も、悪させず楽しく酒を飲むのが暗黙の掟。
ネムも少しは安心して、息を整えることができた。

「……ふー……」

バスカロンドラザーズ前のチョコボ留。
普段はあまり見かけない、貨物用の馬車が止まっていた。
木材をたんまりと積み込んだ荷台の上で、チョビ髭をたくわえたララフェルが何事か騒ぎ立てている。
その声は酒場の中にもきんきんと響き、店主のバスカロンも眉を潜めていた。

「……うん?」

店の庇下でゆっくり足を休めようとしたネムだったが、あまりの喧しさに眉根を寄せてそちらを見る。
どうやら口うるさい商人であると見るや否や、金銀の眼光は剣呑さを増した。

「ほらほら早くしてくれ!急いでるんだよこっちは」

商人は小さな体を少しでも大きく見せるかのように、荷台の上で飛び跳ねながら何か急かしている。
その足元でもぞもぞと作業を続ける人影は、頭上のララフェルと比べるととても大きく。

店内のバスカロンに目配せすると、かちりと剣を鳴らして、ネムは商人の荷台に忍び寄っていく。
ふと、罵声を浴びながら作業する人影に視線をやって、ぎょっと目を見張った。

「準備しておくからというから、わざわざ買い付けに来てやったんだぞ!何をモタモタしてる!!」

ララフェルは自分より大きな男を責めることで、大分気分が良くなっているようだった。
その態度も言葉も尊大になっていくのをよそに、足元の大男は黙々と作業を続けながら、短く謝罪の言葉を口にして。

「……すみません、急いでやりますので」
「…………っ」

ちょうど、採りたてのカーラントを食べさせてやろうとしていた男が、まるで小さくなりながら、拙い手付きで伐っただけの丸太をまとめている。
拙すぎる。
質の良い材木であるものの、切り口はあまり良くないし、まとめる麻紐を扱う指もぎこちない。
思わず飛び込むようにジョナサンの横に膝をつく。

「……お前っ」

古疵の為か、上手く動かない左手。走る鈍痛に脂汗を浮かべながら作業を続けていたが、ふと傍らに訪れた人影に、ジョナサンははっと顔を上げる。
見覚えのある顔だった。

「坊主……」

坊主じゃない、と反論しかけた声を、あまりの痛ましさに飲み込んだ。
脂汗の量や青ざめた顔から、どれほど辛いかは推して知ることができた。
おそらく、手が。
猫の眼光を、ぎらりと剣のように振りかざして商人の眼前に詰め寄る。

「この、とんま!!お前ら商人て生き物は手伝ってやることもできないのか!?事情があって遅れていることくらい見て分かるだろ!!」
「は、はあ?なんだお前は、いきなり……」

気分良く責め立てていた中で突然現れたミコッテに、商人は呆気に取られたようだ。
馬車の側に居た護衛であろう男達がネムの前に立ちはだかるように現れる。

男達にもまったく怯まず、むしろ剣の柄を握って戦う意志すら見せながら、ネムはごうごうと吠え立てる。
めくれた唇から見えるのは、鋭い犬歯だ。

「偉そうに肥えて動かなくなって、情けない!!こいつの木は私が買い取る、疾く失せろ!さもなきゃ……」

ざらりと、刃が鞘から滑り落ちる音がする。
ネムの剣だけではない、ドラザーズからも、刺すような視線が商人と護衛たちを見ている。

「……ここが何処だか、思い出させてやるぞ?」
「よせ」

短く、制止する声。
ジョナサンは俯いたままで、表情を伺うことは出来ない。

「……この木材を縛ってくれ、坊主。これで最後なんだ」

一瞬ネムと周囲の雰囲気に怯んだ様子を見せた商人だったが、ジョナサンの変わらぬ態度に調子を取り戻し、ネムに吹きかける勢いで鼻息をふんふんと鳴らしている。

ぴん、と真っ白な耳が跳ねた。
興奮して緑色に光る瞳孔のまま、ジョナサンを見下ろす。
物言いたげに唇を戦慄かせるが、憤った勢いのまま、どかりと剣を地面に刺し据えて、ジョナサンの横に膝をついた。
てきぱきと木材をまとめる手つきは、やはり慣れているものだ。
ネムが麻糸で木材を縛り上げる間、多方面から注がれるならず者たちの視線が盾となって。

「……ほら!」

まとめた木材を荷台に放り込んだ。
怒りを噛み殺す、荒い息で肩を上下させている。

「ふ、ふん……よろしい。ところで──」

商人が木材の束の上をとことこと駆け、ネムに近寄った。
そのまままじまじと顔を覗き込むようにして。

「良く見れば、中々可愛い顔をしているじゃないかあ?ミコッテの……」

商人の言葉に、護衛がうすら笑いを浮かべた。
ジョナサンはその足元に俯いたままで。

ざわりと尻尾の毛が逆立った。
と同時に、拳がララフェル商人の顔面にめり込んでいる。
護衛が割って入る暇もなかった。
ネムの鉄拳を受けたララフェルは軽く吹き飛んで、荷台を引くチョコボの尻に激突し、それに驚いたチョコボはがたがた車輪を鳴らして走り出す。

「こ、れ、以上、の、辱しめは、許さないぞ…………!!」

今度こそ剣を抜いたネムは怒髪天であった。
どこからかノコギリまで引きずってきながら、シャーッ、と憤怒の息を吐く。

「選べ……薪になるか、森の肥料となるか、選べええええ!!」

チョコボが駆け出した勢いで、居眠りをしていた御者が慌てて馬車を走らせ始めた。
ひっくり返ったララフェルは、そのまま怒声を上げつつ遠ざかっていく。
護衛はネムの姿を幾度か確認しつつ、それを追っていった。

がたがたと轟音を立てながら去っていく馬車を見つめつつ、ジョナサンはようやく立ち上がって。

「二度と来るなスケベジジイ!!今度見かけたらちょんぎって磨り潰してプギルの餌に……」
「………金を貰い損ねた」

ドラザーズからの歓声の中、なおも吠えていたネムだったが、ジョナサンの呟きにぎょっと押し黙って。

「ああっ……!?ちょ、ちょっと待ってろ、今身ぐるみ剥いできてやるから……っ」

先程の威勢はどこへやら、あわあわと駆け出そうとする。

「……もういい」

溜息交じりにジョナサンは左手を開閉させる。
動きがぎこちない。
鈍い痛みに眉を潜めて。

「だがお前は少し、後先を考えた方がいいな。護衛がお前の姿を確認していた」
「ふん、だから何だ。あっちからやって来るなら返り討ちにしてやる」

少し迷った指先が、ジョナサンの手に添えられる。
誘うようにそっと引きながら。

「……冷やした方が楽か?店の裏に川がある。来い」

どちらにしろ手を冷やさねばと思っていた。
ネムに手を引かれるまま川へ向かうと、ジョナサンは適当な岩に腰掛けた。

「……手を離しても?」
「ちょっと待て、具合を見る。随分悪くしてるだろう?戦傷か?」

跳ね返る水も厭わず、川辺に膝をつく。
なるべく痛みのないように、革手袋をとってやろうとする手は、丸く小さな猫のような手だ。

久々に感じた他人の手指の感触。
それを味わう様に、そのままされるままになっていたが。

「……、よせ」

ネムの小さな手から取り上げるように、指を僅かに上げて。

「こら、逃げるな!」

ぴしゃりと言ってのけてジョナサンを見上げる瞳には、窘めるような鋭さに混じって、妙な心細さがあった。
革手袋を取り払った手を、逃がさないように、それでも痛まないように握り直して、改めてネムは男の大きな手を観察する。

「………そんなに見ても、面白いものじゃないぞ」

存外、小さく柔らかい手だった。
逃れようとすれば逃れられただろうがそれが出来ないのは、見つめる瞳に何かを感じたからだろうか。
諦めるように一息吐くと、改めて左手を任せる。

「面白いから見てる訳じゃないっ」

噛み付くように怒りながら、走る傷たちを痛ましそうに見つめて。
握ったまま共に手を冷たい流れに晒す。

「……酷いな……まともな処置がされてない。まさかこれだけの傷を放っておいたのか?」

ネムの手の体温と、清流の爽やかな冷たさに、心地よい溜息が漏れる。

「傷は塞がってる、あとは握る事が出来れば良い。……それで良かった」

そこまで呟いて、ジョナサンは口元を押さえる。
喋りすぎた、そう思った。

「…………そうか」

ジョナサンの心境を汲んだのかどうかは分からない。
ただ一言、相槌だけをうってネムは黙り、指の付け根や手のひらの筋を揉んでほぐし始めた。
緊張しきって硬くなった肉をどうにかしようと、自然と指が動く。

「……。ただの不器用かと思ってた」

柔らかな手指の感触。
自分の手が今更良くなるとは思えなかったが、心地良さに負け、そのままにさせていた。

「………古い傷だ。戦場で」

僅かばかりの礼のつもりで、先程の問いに短く答えた。
左手が強張る。

川がさらさらと鳴っている。
清水は冷たく澄んでいて、二人の横には酒房のエールやワインが並べて冷やされていた。
ネムは時折水面から手を引き上げては、傷がふやけて皮膚が痛まないよう膝の上で様子を見つつ、ジョナサンの言葉に文字通り耳を傾ける。

「戦場に戻らないのはどうでも良いが、それにしたってもう少し上手く生きていけるだろう。あんな子鼠からの駄賃に頼らなくても」
「ここなら静かに暮らせると思った……が、生きるにはやはり、どうしても金が要る」

自嘲気味に笑うと、ジョナサンは水面を見ていた目をネムに向けて。

「力さえ有ればいいと思っていたが……木こりってのも難しいな」
「…………木の選び方は悪くなかったぞ。ちゃんと勘の良さも見抜く目もある」

手に張り付く冷たい水滴を拭ってやりながら、首を傾げるようにしてジョナサンの顔を覗く。
満月のような瞳が、じっと行儀よく凪いでいた。
膝の上の手を、確かめるように握ったり、少し指を動かしてやる。

「精霊がお許しになるのだから、大きな金がなくとも生きられる。恵まれるまま、望み通り、静かに……。……まだ痛むか?握ってみろ」

小さな指が、きゅ、とジョナサンの手に纏う。
柔らかい皮膚の下では、とことこと細い血脈が波打っている。

先程ネムが見せた荒々しさと信心深さにギャップを感じて、ジョナサンはふと笑みを溢す。

「精霊……精霊ね」

思えば、自分の手指を解すこの思いやりもまた、何か奇妙に感じる。
させるがままにさせている自分を不思議に思い、ネムに首を傾げてみせた。

「……余所者にはわかりにくいか?確かに、声の聞こえない、その存在を感じることもない者にとっては不思議なことかも……」

訝しげな顔で、同じように首を傾げてみせた。
むにむにと変わらず、手のぎこちなさを解してやるように揉んでいる。
握り返してみるよう、促しながら。

「でもいるんだぞ。いつでも私たちを見守り、力を貸してくださる」

少しずつ、ネムの指先を握り込むように左手を閉じた。
大分楽になったのを感じる。

「まあ、何が居た所でおかしくはないな。蛮神やら何やらが跋扈する世界だ……」

手を握ったまま、静かに苦笑してみせる。

「蛮神なんかと一緒にするな!そんなこと言って、追い出されても知らないぞ!」

尻尾を逆立てて怒りながら、口調ほどの激しさはない。
精霊への無理解に対する怒りよりも、少しずつ力の籠る手に喜ぶ方が大きかったのだろう、僅か目元を綻ばせる。
誉めるように、そっとジョナサンの手を撫でながら。

「精霊は古来よりこの土地に住まう、偉大な先住者だ。そうだな……感覚だけでいうなら、木々で隠れ鬼をするこどもの気配に近い……お前も元が戦士なら、気配を辿ることもあったろう」

ネムの話を聞きながら、何か思い出すように目を細める。
無意識のうち、その手をまた握り込んで。

「……どうだったかな。そんな気配を感じ取れるような、優秀な兵士ではなかったかも……」
「ふふ」

笑っているつもりか、頬を不馴れにひきつらせる。
握り込む指を受け入れるように、そっと撫でて、小さな両手で包み。

「立派なのは図体ばかりか?本当に、生きづらい奴だな」
「お前には言われたくないな。不器用な生き方をして」

ぎこちない笑みを見て、その不器用さにもつい笑ってしまう。
握られた手が暖かい。

「いつか痛い目を見るぞ」
「その言葉、そっくりそのまま返すぞ!」

ぴょんと尻尾を跳ねさせると、不服そうに鼻先を反らす。
が、握ったままの手に視線を落として、労るように傷を撫でる。

「……お前はもう、痛い目を見たんだろうな……」
「お前もだろう」

アダマ・ランダマ教会での出来事を思い出す。
ネムの流したであろう血の跡を思い出し、それ以前を想って。

「……少しは懲りるべきだったんじゃないのか」
「…………」

もはや無意識なのか、ジョナサンの左手を優しく撫でるまま、光る水面を遠いもののように見つめる。
金銀の瞳には激しさも静けさもなく、ぽかりと空洞があった。

「何に懲りるべきなんだろうな。人の身体を売り物にして弄ぶ、奴らに楯突くことなく忘れて過ごせば良いのか。私を追ったために死んだ母の無念も忘れて?」
「それは……気の毒に思うが」

ネムの独白に、思わず目を向ける。
感情を失ったその瞳を、痛ましいものを見るようにジョナサンは見つめて。

「…………始末のつけ方はお前の勝手だ。だが、面倒を起こしてばかりじゃその前に死ぬかも知れんぞ」
「面倒?」

眉根を寄せて、改めてジョナサンの顔を見つめる目は、不遜ではあるものの感情が戻っていた。
一体何のことやら、とでも言いたげな疑問が。

「……さっきの商人のことか?あの…………金を払わせる前に追っ払ってしまったのは、悪かったと思ってる……ぞ……?」
「金のことはもういい。だが、感情に任せて熱くなるな」

ネムの反省の言葉に、訝しげな目を向ける。

「少しは堪える事を覚えるんだな」
「……余計なお世話だっ」

つーんと、今度こそそっぽを向く。
が、尻尾が落ち着かなさげに左右している。

「……別に堪えるところでもなかっただろ……お前はもう忘れたいようだが、私にとってはまだ恩人なんだ、それがあんな扱いを受けて許せるかっ」

左右していた尾が、抗議するようにジョナサンの腕を叩くようになった。
ぺたん。ぺたん。
特に強い力ではない。

「大体、堪えろ何だのというから、あんな子鼠がつけあがるんだ。思い出したら腹が立ってきた!」
「……良いんだよ、俺は」

尻尾が触れる度にくすぐったく思いながら。
商人が吹っ飛んだ瞬間の事を頭に思い浮かべて。

「やってくれた、全く。新しい買取先を探さないとな」
「む…………」

ネムが考え込むに合わせて、尻尾がぴとぴと触れる間隔が狭くなる。
しかしそれも少しのことで、ピンと耳と身体が跳ねて、そのまま立ち上がる。

「そうだ、バスカロンに頼めば良い!薪にも木材にも困っているだろうからな。お前は木を見る目が良いし、集まってる奴らも弓や槍の修理に欲しがるだろ」

握ったままの手をそのまま引いて、立ち上がるように促して。

「本当なら少し整えた方が売り物になるが……うん、それは私がやろう。心得がある。お前、バスカロンと話したことはあるか?良いやつだぞ」
「マスターには何度か世話になっているが……それよりお前、また俺に世話を焼くつもりか」

そう言いつつ抵抗は諦め、ジョナサンは手を引かれるまま立つ。

「嫌なら焼かれないようにするんだな。……この手じゃあ、当分無理、だろうけど」

繋いだ手を見下ろすと、また一撫でする。
微笑む機微を眦に乗せて。

「そのうちきっと良くなる。少し調子も出てきたし、定期的に解してやれば今よりずっと痛まなくなる」
「む……」

その言葉に抵抗する様に左手を握る、がやはりその動きはぎこちなく。
諦めて目を伏せると、ネムを見て。

「……本当に物好きな奴だ」
「そうか?……幼いベヒーモスが放っておけない、ただの甘い奴かもしれないぞ」

ふふ、と笑う呼気を漏らしながら、ジョナサンの手を引いて店に向かう。

「ああ、ちょうどいい、かまども貸してもらおう。今日はお前に食わせてやるものがあるんだ」

ふわふわ揺れる尻尾は、心なしか弾んでいる。
首をいっぱいに傾けて、ジョナサンを見上げる猫の瞳は、満月のように丸く明るかった。

  • 最終更新:2018-04-02 19:30:04

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