木こりと白猫7

黒衣森の空は今日も晴れ模様だ。
ゴブリンたちが野営する水辺に、青空が映り込んでいる。
日が出ているうちは温かいが、肌寒い風からするに夜はきっと冷え込むだろう。
ゴブリンたちは備えて寝床の手入れに勤しんでいた。

そんな中、さくりと草を踏む音が聞こえた、気がした。
確かな気配があるのに、白い姿は何処にもない。
ただ頭上の方から、くすくす笑うような、微かな呼気が降ってくる。

ゴブリン達を手伝う中で気配に気づいたジョナサンは、そちらを見るでもなく、ただいつものように声を掛けた。

「おい、今夜は寒くなりそうだぞ……」

応えは無い。
そのままジョナサンは続けて。

「……火に当たっていくか?ネム」
「…………」

かさり。
葉が擦れ合う音と共に、足を木の枝に引っかけて逆さまになったネムが、ゆらゆら金銀の瞳を覗かせた。
そこはかとなく嬉しそうな輝きだ。

「前より気配を読むのがうまくなったな」
「お前のはな。いい加減慣れた」

淡々と作業を続けながら、ようやく現れたネムを一瞥して。
不安定に揺れているのを見ると、ふと手を伸ばす。

「危ないぞ、降りろ」

「う、っ」

伸ばされた手にネムが一瞬見せたのは、怯えだった。
ぎくりと変に体を強張らせたせいで、ぐらりと大きく傾く。

「わっ、わ、わ」

「……おい、馬鹿!」

手を伸ばしたまま、ネムを受け止める。
両手で抱えた後、静かに地に下ろして。

「言わんこっちゃない、気を付けろ」
「やっ……!」

抱き止める腕にすら緊張して、悲鳴寸前の声を上げる。
足が地面につくや否や逃げるようにジョナサンから離れたが、怯えの次にネムの目に浮かんだのは後ろめたさだった。

「す、すま……いやっ、お前が、いきなり、手を近づけるから……ええと」
「……じゃあ、次からは普通に現れることだな」

ネムが感じた後ろめたさを薄れさせるためか、それだけぽつりと呟いて、ゴブリンの寝床作りに戻ろうとする。

「……じょ、んっ」

背を向けたジョナサンの、傷だらけの手に飛び付くようネムの指が触れた。
痛くないように慮りながら、自分の手に感覚を刷り込もうとするような強さだ。
おずおずと視線をジョナサンの顔まで差し上げれば、しょげた耳が後ろに垂れた。

「ちが……い、いつもはこんなじゃ、ないんだからな……」
「……分かってる。そうしおらしい振りをするな、調子が狂う」

いつものように握られた手を預けたまま、僅かに苦笑して。

「それで、今日はどうした。やはり寝床が必要か?」
「い、いらないったら……」

恥ずかしげに耳と尻尾を垂れさせて、片手を繋いだまま、ネムは腰に下げているポーチをまさぐる。
胡椒だの岩塩だの、保存できるような調味料がたくさん入っているものや、瑞々しい果物が入っているものもあって。
そのうちの一つから、パールジンジャーを取り出して、ジョナサンに見せた。

「今日は冷えるというから……生姜湯でも煎じてやろうかと思ってな。ドライボーンの近くに群生しているから……」

そこまで言って、誘うように手を引く。

「でも、これだけじゃあ味気ないし……ハニーヤードまで蜂蜜をもらいに行こうと思って。行ったことがあるか?」

ぐいぐいと引かれる手を見て、それからジョナサンはネムの顔に目を向けた。
この娘が恥ずかしがる基準が良く判らない。

「ハ二―ヤード……フルフラワー養蜂場か?グリダニアに用がある時、傍を通ったりはするが……」
「うん、ロサの蜂蜜はおいしいぞ。生姜湯に混ぜて、甘くして飲むんだ」

満月のような金銀の瞳が、ジョナサンの顔を覗きこんでいる。
まるでよくなついた猫のようだ。
視線が合えば小首を傾げて、微かに笑んでいるようでもある。

「…………あそこの蜂も、おとなしいから大丈夫だぞ?」
「別に蜂が怖い訳じゃないが……」

微笑むネムの顔になにか居心地の悪さのような、むず痒さを感じて。
目を逸らすと、何となく養蜂場のあるだろう方向を眺めてみる。

「……まあ、いいか。今日は養蜂場へ連れてってくれるのか」
「少し歩くけど、良い運動になる」

ジョナサンの真意には気付かないまま、ネムは尻尾の先を跳ねさせた。
微笑む眼差しをそのまま近くのゴブリンに向けて。

「そんなわけで、これを借りていくぞ。土産は……蜂蜜酒でいいか?」

わっと歓声が轟いた。
温かい寝床を用意するゴブリンたちの手が忙しなくなったのは、宴会の準備もするつもりなのだろう。

「やれやれ……寝床の準備はしっかりしておくんだぞ」

騒ぎ出したゴブリン達に言い含めると、急かす様にネムの背を押して。

「……面倒見が良過ぎるのも考え物だぞ」
「ん……」

ジョナサンの手が背中に触れた瞬間、やはり僅かにネムの身体は緊張する。
触れられることに怯えてきた、名残だ。
尻尾が二度三度揺れてから、ゆっくりと肩の力を抜いて歩き出す。

「……面倒をみてるつもりはないんだったら。お前こそしっかり準備を手伝ってやって、まるで親みたいだ」
「………」

ネムの反応を見てから、軽率に触れた手を引くと、その後に付いて歩き出した。

「……俺もあいつらには世話になってるからな。出来る事はする」
「ふぅん?律儀なやつだな」

ネムの声には、からかうような響きがあった。
ジョナサンが着いてくるのを時折振り向いて確かめる瞳は、もう不用意に触れた武骨な手など気にしていないようだ。

話している内に、見慣れたクォーリーミル周辺の森を進み、ムントゥイ醸造場を抜ける。
顔馴染みになった作業員らと、軽く会釈を躱しながら。

「やあ、ギデオンさん。ネムちゃんも」
「ムントゥイ鍋はどうだった?またソースを買って行ってね」

作業員たちの温かい笑顔に見送られて醸造場を抜ければ、そこは東部森林────その一部、ナインアイビーと呼ばれる土地に辿り着く。
比較的拓けて視界が良いこの場所は、のんびり散歩をするのに心地がよい。
何人かの冒険者も、急ぐ旅ではないのかゆっくりと周囲を見渡しながら通り過ぎていった。
ジョナサンの前を跳ねるように歩くネムの足が、楽しそうな軽い音を立てている。

「世話になっているって、場所を間借りしている以外に何かあるのか?」

ネムの言葉に、自分の周りで騒ぐゴブリン達を思い出してふと、笑みを漏らす。

「何かしてもらっている、って程でも無いが……」

時折振り返るネムと視線を合わせながら、やがて見えてきたエーテライトを眺めて。

「……奴らとの交流も、多少の慰みにはなってるのさ」

ジョナサンの言葉に、ネムは僅かな間立ち止まって、じっとその表情を眺める。
丸い瞳が窺うように、行儀よく凪いでいた。

「…………そうか」

それだけ短く応える唇には、喜色が浮かんでいる。
無愛想なこの男に慰みがあるのが、何かしら交流で癒しがあるのが嬉しいのか。
真っ白な長毛の尻尾が、ジョナサンの眼前で揺れている。

「人との関わりを絶とうとした俺が、ゴブリン達に癒されてるなんて……笑える話だな」

やはりネムの微笑みにむず痒さを感じて。
その顔を見るかわりに、ゆらゆらと呑気に揺れる白い尻尾の先を見つめた。
そのまま歩を進めていると、道沿いの草むらにぽつぽつと隠れるように置いてある蜂の巣箱が目に入る。

ジョナサンの視線の先に気付いているのか否か、真っ白な尾は変わらず左右に揺れている。
板を敷き詰めて整備された道を逸れて、土を踏めば、小さな足跡が残っていく。

「ちっともそうは思わないぞ。……お前が本当にひとりになれるほど、冷たいヒトではない証だから」

蜜蜂の忙しそうな羽音が聞こえる。
元来、温厚な気質の彼らは、見知らぬ客人にも針を向けることはない。
辺りの花から、甘い蜜を集めて回るほうが大事だ。

「それでいいんだ、ジョンは」
「……やめてくれ」

自分を擁護するような言葉についに居心地が悪くなったのか、溜息交じりに苦笑して。
白い尻尾に停まろうとする蜂を払ってやりながら、近くに居るであろう作業員の姿を探す。

「……そろそろ、目的の場所じゃないか?ネム」
「うん、……大丈夫だぞ、ジョン」

自分を気遣って蜂を払ってくれるジョナサンに、例の不器用な笑みを向けると、尾にとまろうとした蜜蜂を丸い手のひらに誘い込んだ。
忌避のないどころか、友愛すら見える仕草。
そのまま少しの間だけ遊ばせれば、蜜蜂は自ら花を目指して離れていった。
その行く先に、作業員らしき女性の姿も見える。

「ああ、ほら。彼女がロサだ。此処の女王蜂みたいなものだな」
「女王蜂ね……なるほど……」

飛んでいった蜂の先の女性と目が合い、軽く会釈する。
周囲に積まれた巣箱から蜂が頻繁に出入りしているのを見て、怖気づくように歩を止めた。

ジョナサンの足が止まったのを気配で感じて、ネムは振り返ってから、思わず噴き出す。

「怖がるから、こいつらもどうしたら良いかわからなくなるんだぞ。大丈夫、よぅくヒトに慣れているから」

そう言ってジョナサンに、丸く柔らかい、まるで攻撃性のない手を差し伸べた。
じいじいと羽音を立てる蜜蜂たちは、遠巻きに様子を窺っているらしい。
養蜂場を管理するロサ・ホウソーンも、くすくすと楽しそうに笑いながら二人を見ていた。

「どうかしら。その人、天敵の熊みたいだもの。間違って刺しちゃうかもね」
「えっ、そんなに脅かさなくても……」
「そうは言うがな………熊?」

ネムとロサを交互に見て、釈然としない表情を浮かべる。
羽音が気になるのか、ぐるりと辺りを見渡してから、ネムに首を傾げて見せた。

「髪が黒くって体が大きくって、ね?熊でしょ」
「熊だな……」

改めて、ネムはまじまじとジョナサンの体躯を眺めた。
随分高いところにある顔を見上げるのには、首をめいっぱいに曲げなくてはならなくて苦労する。
体の幅だってネムの二倍はあるのではないか。
種族の差という理不尽を今一度味わった気分である。

「……で、でも、そんなにすぐ刺してはこないから。……心配だったらちょっと離れてたらいいぞ」
「まあ……問題ない。大丈夫だ」

二人からの熊呼ばわりを甘んじて受けつつ、蜂など気にしていない素振りでネムをちらりと見下ろし、ロサへ歩み寄って。

「……ところで、この娘が蜂蜜を欲しがっているんですが」
「ええ、ちょうど在庫があるわ。あっちの倉庫にヒトがいるから、一緒に覗いてみてくれる?」

木造の小屋を差したロサの指に、蜜蜂がとまった。
山吹色の襟巻きが、ビロードのようにとろとろ輝いている。
丸い体をもたもたさせて、花を目指して離れていったのを、ネムの目が追っていた。

「……そうだ、蜂蜜酒も欲しいんだ。まだあるか?」

「大瓶でひとつだけ。運が良かったわね」

巣箱の手入れをしているらしいロサは、忙しそうに、その場から動けないようだった。

気丈に歩み寄ってきたジョナサンを見上げて、ネムは思わず不器用に微笑むと、行ってみよう、と袖を引く。

「……良かったな、在庫があって」

こちらを見上げたネムに一つ頷いて。
ロサにまた軽く会釈をすると、ネムに引かれるまま後に続く。
やはり歩みはどこかぎこちない。

「……ふふっ」

ぎこちなく歩く大男に、いつもよりずっと柔らかい笑みを向ける。

「大丈夫。怖くないぞ」

袖を引いていた手が、男の武骨な指に触れて、そっと握り込んだ。
まるでちいさい子供をあやすような声音で、大丈夫、大丈夫と繰り返す。
実際に蜜蜂たちは、大きな体を眺めでもしているように周りを飛び回っていたが、その針の切っ先を向けてくることはなかった。

「……ああ……」

周りを飛ぶ蜂の羽音に、そしてネムに手を引かれ、あやされるように声を掛けられる自分の姿を想像して、その図体を縮めつつ。
小さな手に縋るように、柔く握り返して。

「……ほら……大丈夫だろう?」

ジョナサンと同じ力で握り返して、ぎこちない歩幅に合わせて、ゆっくりゆっくりと蜂の羽音の喧騒から離れていく。
聴覚への刺激が和らげば、次は嗅覚への甘い刺激だ。
豊満な蜜の香りが、木造の倉庫から漂ってくる。
小さくなった巨体を、嗤うでもなければ呆れるでもない、柔らかい目付きが見つめている。

「ふふ。虫は苦手か?」
「苦手……と、いうか……」

そこまで言った所で、漂う蜂蜜の香りにふと顔を上げた。

「………故郷は雪が多くて……虫が見られる期間も短かったしな……」

少し、ほんの少しだけ躊躇うような間の後、そう溢す様に呟いて。

「…………雪が……」

金銀の目が、俄に明るくなる。
繋いだ手も微かに力が強くなって、ねだるように揺すられた。

「そんなに寒いところの生まれなのか?雪は……雪はどのくらい積もる?私はずっと、そんなに降らない場所にいたから……物語の中でしか、雪国を知らないんだ」

無邪気に話をせがむこどもの顔。
弾む心を表すかのように、尻尾の先が跳ねている。

「……クルザス地方より……イシュガルドよりも、もっと北だ。寒い土地だった……」

ネムの無邪気な問いに、ついぽつぽつと続けた。

「雪は……俺の背丈ほども降る。俺達の仕事は、戦よりも専ら、雪掻きが多くて……」

気付かないうちに、声のトーンは沈んで。

「そんなに?全然想像がつかない……すごいところに住んでたんだな」

対照的に、ネムの声はすっかりはしゃいでいた。
暗く落ちていくジョナサンの声に重ねて、そのまま明るい調子で続ける。

「……母が。私の髪を雪のようだと、よく褒めてくれた。この森には滅多に降らなくて、だから余計に美しいもののように思えて」

日が傾くにつれて、少しずつ冷ややかさを帯びてきた風に、ネムの真っ白な毛並みが揺れた。
伸びきった前髪の間から、満月のような瞳が覗く。

「だから雪は好きだ。……でも寒いのは嫌だな……ジョンは、雪、そんなに好きじゃないか?」
「好きとか、嫌いとか、思った事はなかったが……」

雪を思わせるその白髪を眺めて、思わず遠い日を追憶する。
暗く落ち込みかけた心を、その下の朗らかな表情に救われた気がして。

「……無性に恋しくなる時がある。もう見られはしないだろうが」

「……。……それじゃあ、寂しいな」

思わず口をついた言葉がそれだった。
馴染んだものが二度と見れないのは、寂しい。

「ジョンも。もう、帰れない?」

「……、…………ああ」

明らかに躊躇った様子で、一瞬口ごもり。
そう短く応えた。
ネムに気を遣わせまいとしたのか、わざとらしく口角を上げて見せる。
それがかえって寂しげに見えて。

「……お前はまだ、帰る場所はあるんじゃないのか?」

「…………」

ジョナサンのその問いに、答えは返ってこなかった。
代わりに、丸っこい、雪のように白い指が、その強張った笑みに向かって伸びてきた。
男の硬い頬をネムの手が包み込んで、慰めるように撫でようとする。

「……大丈夫。雪は降らないし、懐かしいものもないけれど、ここをこれからの故郷にしたって良いんだから」

めいっぱいに背伸びをして、手が届くのは触れる頬までだ。
一生懸命熱を移そうとする指は温かい。

「ネム……」
「…………私は、……」

触れる手の暖かさを感じながら、それでもそちらを見ることは出来なくて。
ジョナサンは目を逸らしたまま、雪色の髪をくしゃりと撫でた。

「お前は大丈夫だ。お前のような者こそ、許されなければ……」
「う、っ…………」

ジョナサンの手が触れる瞬間に、根付いた恐怖で肩が強張る。
それでも今度は、身体を引くことはなかった。
武骨な指が撫でる白い髪は、細くて柔かく量の多い、猫毛の手触りだ。
硬い皮膚越しの熱に慣れていって、耳が徐々に、心地よさそうに平たく寝ていく。

「…………ジョンは優しいな」

ジョナサンの頬から離れた手が、すっかり力を抜いて体の横にぶら下がる。

「……俺は思った事を言っただけだ」

言いながら、くしゃくしゃになった白髪を慣らすように撫でつけた。
まるで子供にするかのように幾度か撫でると、どこか寂しげに笑んで。

「……さ、冷えてきたぞ。どうする」

髪が乱れるのは気にしないのか、くすぐったそうにネムがはにかむ。
よく聞けば、その喉がころころと音をたてているのが分かるだろう。
ジョナサンの顔を見上げた金銀の瞳は、彼の寂しさまで照らすようだった。

「……蜂蜜と、酒を買って帰ろう。火の側で生姜湯を飲んだら、きっと寒くない」

そうして、もっと撫でろと言わんばかりに、傷だらけの手のひらに額を擦り付ける。

「それから、厚い布にくるまって寝るんだ。……ふふ、穴なんか空いてないだろうな?」
「……生姜湯、蜂蜜はたっぷりにしてくれ。辛いのより甘いのが良いんだ」

抜けたことを言いながら、求められるままにもう何度か撫でて。
そのままぽんと後頭部を軽く押すと、小屋の方へ促す。

「……しかし、運が良かったな。この間洗った毛皮の毛布が乾いたところな筈だ」
「ふふ。あったかそうだな」

ころころ。
喉の鳴る、幸せな音が聞こえる。
ジョナサンの手が離れてもしばらく鳴っていたのが、小屋の方に少し歩いて、首を傾げたときに止む。

「……ちゃんと自分で使うんだぞ。ゴブリンたちにやらないで」
「何言ってる」

ネムの様子に気付かないまま横に並んで。

「お前の寝床用だぞ」

当然といった様子で言うと、ずんずんと小屋へ歩いていく。

「えっ…………」

緊張した声が零れた。
慌ててジョナサンの背中を追いながら、ぶんぶん左右に首を振って。

「い、いい。私……寝床はいらない、夜には森を出るから。出なくちゃ……」
「だが、もうすぐ日が暮れるぞ」

その声色に首をかしげつつ振り返るが、やはり有無を言わせない様子で。

「お前一人増えた所で、別に問題ないしな」

「…………私、いられない……」

ジョナサンの背中に、か細い声が触れた。
足元に落ちた視線は、言い切る言葉と裏腹に、迷うように揺れている。
立ち止まって動けなくなったまま、肩を丸めて小さくなる。

「……まあ、ゴブリンと得体の知れん男のキャンプだからな。無理にとは言わないが」

ネムの様子を訝しく思いながら。
しかしただ意地を張っているわけでもなさそうなのは理解しているようで。

「……それ以外に問題があるのなら……」

「得体の知れないなんて思ってない!」

思わず視線を上げてネムは吠えるが、またすぐに俯いた。
両の手指をきつく絡めて、頑なに首を振って。

「……わ、私。居たら、だめだ。だって……」

「お前が居れば」

ネムの言葉を遮るように、ジョナサンは声を張った。

「……きっと、楽しい。……と、思うぞ。ゴブリン達が」

妙に濁すような言い方だが、その目は真っ直ぐネムを見ている。

ひゅ、と息を飲む音が、妙に大きく聞こえた。
ジョナサンを見上げる金銀の大きな目は、不安やら迷いやらをたくさん湛えていて、もうひとつ瞬きでもすれば溢れてしまいそうなほど。

「…………わたし……」

掠れた声が何かを紡ごうとして、掻き消える。
それからしばらく、沈黙が続いて。

「……みんなが、寝るまで……それまで、なら居る……から。……毛布はジョンが、使って」

途切れる言葉で、やっとそれだけ言う。
服の裾をきつく握り込んだ手は、これ以上の譲歩を許すなと、自分を責めるように見えた。

「………お前が、そう言うなら」

頑ななネムにどう声をかけるべきか、明らかに迷っている様子だったが、諦めたようにひとつため息をついて。

「……すまなかったな。だが皆は歓迎すると思うぞ」
「…………まともなご飯が、食べたいだけだろ……」

やっと顔を上げたネムの顔は、先ほどジョナサンが見せた表情とよく似た、寂しそうな笑顔だった。
草を踏む軽い音を響かせて、ジョナサンを追い越しながら、ちょうど倉庫から顔を出した養蜂場の作業員に手を振る。

「……料理は好きだから、良いけどな。行こう、ジョン。蜂蜜をもらって、それをたっぷり入れた生姜湯を……」

そう言いかけて、ふとジョナサンを見る。
寂しそうな笑顔が少しだけ和らいで、まるでいとけないものを見つめる眼差しを向けて。

「お前が、希望を言うなんて珍しいなぁ。良い傾向だな」

ネムの言葉につられて、僅かに笑む。

「……摂るなら、良いものを……旨いものを摂りたい」

ネムの後に続いて、ゆっくり歩を進めながら。

「……お前の影響でこうなったのは、間違いない」
「…………そう。そう、か。うん……」

真っ白な尾の先が、嬉しそうに揺れた。
そっぽを向いてしまったネムの顔はやはり不器用に笑っていて、温かく血の通った指先がジョナサンの手を探して宙を掻いた。

「……お前には感謝してる」

不安げに揺れる指先を、すっかり包みこむように握って。

「……だから、お前には何の憂いもなく生きて欲しい。出来ることがあるなら言え」

頭上から降る低い声が、硬い皮膚の温もりが、満月のような瞳を湿らせる。
辛うじて小さく頷けば、ぽとりと一粒透明が落ちたようだった。

夕暮れが北風を連れてくる。
手を繋いだ大小二つの影が、ナインアイビーの道を言葉少なく歩いていく。
ジョナサンの片腕には瓶がいくつか抱えられていて、ネムの尻尾は楽しそうに揺れていた。

やがて森の南の方からは、小さな焚き火の煙が上がるのだろう。

  • 最終更新:2018-04-08 13:36:01

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