20180122

砂の都、ウルダハ。
乾いた風が砂を巻き上げ、蒼天を黄色く鈍らせる日の午後。
エメラルドアベニューを西に向かえば、ギルドや市場の賑わいは遠くなり、代わりに夜の帳とも紛う沈黙が肩を撫でる。
その先にあるのは清かな死の香り。
聖櫃堂と墓地が隣り合っている。
其処ではいつも祈りの囁きが響いているが、今は琴の音と歌声で満ちている。
不道徳を嘆く者もいなければ、眉をひそめる者もない。
鼓膜を揺すられながら、通りすがる足を五線譜にとられながら、皆が過ぎ行く。
詩人が吟じる緑の世界が、豊穣の景色が、ザル神の導く次の命に似ているからかもしれない。

街を歩く時は、自然と大きな通りを避けてしまう。
嫌いという訳では無いけれど、引け目とも呼ぶべき忌避感がある。
裾の長いローブを身を隠すように纏い、三角のとんがり帽子を目深に被って、影を踏むようにして彼は道の端を歩く。
黒衣の姿は、本人が纏う控えめな空気も相俟って、晴天がもたらすささやかな影の中にすっかりと溶け込んでしまっていた。
だから、彼がふいに足を止めた時、すれ違った誰かは驚いた様子でやや大げさに避けていった。
まるで、そこに無かったものが突然目の前にあらわれたような様子だった。

「…――あ、すみません…」

申し訳なさそうな声音を去っていく背に送り、それから改めて彼は旋律の方へ視線をやった。
それは、春のおとずれを告げる、花の色の瞳だ。

その花の瞳に映る女詩人は、麝香の香りを纏う爪先で、絹糸のような琴の弦をはじいていた。
瑞々しく膨れた唇が語るのは、堅い幹の内を登る清水、空を突く枝、透ける新緑。
鬱蒼たる木々の間を、縫い合わせる小鳥の歌だ。
踏めば湿った音が鳴る土の歌。
何も住めない上流の歌。
繁る森の美しさを讃える歌である。
燃える炎にも、溢れ落ちる椿にも見える赤い睫毛の先が、唐突に現れたように見えた仄かな影の姿に向いた。

黒髪で顔の半分を隠し、おまけに全身真っ黒な服を着た呪い師の中で、唯一色彩を帯びているのが瞳だった。
暗闇に潜むような井出達とは相反する、柔らかな春の色がその瞳に宿っている。
彼は瞳を、ぱちりぱちりとゆっくり瞬いて、ふいに呼び止められたような顔をして影の中に立っている。
しかし、実際急に立ち黙ったのは彼の方だったわけで、詩人がこちらを向いて数瞬後、我に返ってピンと耳と尻尾が跳ね上がった。

「――! あっ、こ、これは、失礼しました…っ。すみません、邪魔するつもりは、無かったのです…、が…!」

とろん。
すっかり恐縮しきった影に、琴の音と詩人の唇が甘く微笑みかける。

「聴衆を邪険にする歌手がいるものか。やあ、花の瞳の君、気に入ってくれたようだね」

とろん、とろん。
喉の奥まで枯らしそうな、乾いた風を潤しながら、爪弾く音色は蕩けていった。
唯一立ち止まった彼に、明らかに話しかける女の声が、歌に取って代わる。

「………」

邪険にするものか、と聞いても、彼女に向ける表情には様子をうかがう気配がある。
信用していないというよりは、余計な気遣いをさせたのではあるまいかという不安感が、彼を未だ薄暗がりの中にとどめている。
水というには濃厚な、蜜のように甘やかな音色に耳朶を浸しながら、言葉を探す。

「……その、えぇと、……懐かしい風景を思い出す、音楽だと思いまして」
「懐かしい?」

柳眉を片方引き上げながら、女詩人はよくよく彼の姿を観察する。
好意的に受け取っても控えめすぎる、物陰にそのまま消えてしまいそうな姿。
とんがり帽子やローブの間から見える、特徴的な耳と尾で、ミコッテ族だろうというのは分かった。

「なるほど、黒衣森あたりの出身かな。それとも、もっと遠くから?」
「……」

ひく、と片耳が跳ねた。
問いかけを誤魔化す術は無いか探して視線を泳がせ、しかしやはり赤の他人を煙に巻くのも忍び無くなって肩を落として、そして困ったように微笑むのだ。
その思考の過程が、表情や仕草にそのまま出てしまっているあたり、隠し事は不得手らしい。

「……えぇ、まぁ…そのようなものです。貴女も、森にゆかりがあるのですか?」

目と耳、尾の先に至るまで、あまりにも正直な仕草たちが、困り果てた末の言葉と相まって、純朴な人柄を浮かび上がらせた。
思わず笑ってしまいながら、詩人はたわわな身体を乗り出して。

「うん、グリダニアに拠点を置いていてね。と言っても家があるわけじゃあなし、酒代を稼ぎながら宿で寝泊まりする程度さ。今日はウルダハに買い物の用事があって来たけど……」

と、弦を撫でていた爪先が、うっとりと陶器のような頬に添えられる。
思い出すのは白い鱗の少女だ。

「……尊すぎるアウラ族に会ってしまって……昂りを発散しがてら、こうして喉を酷使してたというわけだよ」
「……」

彼女が身をのりだすと、かぐわしい香りが鼻先に触れた。
彼女の豊かな心とふくよかな声音に良くそぐう、華のある香りだ。
やや驚いた風情で軽く肩をひいたものの、警戒心とは無縁な為か、逃げ出す素振りは無い。
むしろ、活動的なミコッテ族にしては反応が遅い位だ。

「……アウラに、会って、ですか。ふふ、バードが喉を痛めてはいけませんよ。……せっかくの良い声なんですから、大切にしてあげてください」

そう言って、ごそごそと呪い師は腰のポーチを漁り出す。
やがて取り出したのは、小さな硝子の小瓶だった。
掌におさまる程度の六角形の小瓶は、同じく硝子でできた丸い蓋がはめ込まれていた。
とろりとした琥珀色の液体が、小さな硝子瓶を中ほどまで満たしている。

「…ハニーヤードの蜂蜜には、劣るかもしれませんが。ウルダハで採れた蜜を集めてみたんです。歌のお礼に、もらってください」

その、種族としては鈍い反応速度に、彼女は気付かなかった。
ミコッテの知り合いは多くないし、興味関心を抱いたことすら少ない。
ただ、差し出された小瓶の繊細な造形や、黄水晶のように透き通った蜜、宝物のようなそれを惜しげなく差し出す黒猫の呪い師には浪漫を感じた。
にまりと唇で弧を描くと、白魚の指を伸ばしがてら、小首を傾げて髪を振る。

「これは有り難い。どんな薬より効き目がありそうだ。でも、そうだね、これじゃあもらいすぎてしまうから――――……」

小瓶を受け取る際、僅かにでも触れるだろう、その指先を絡めようとする。

「…そうだと良いのですが。砂漠の蜜は、この街の黄金のように美しい色ですが、甘みが少し強いかもしれません、ね……?」

細い弦をつまびいていた指先が自身の指先に触れると、おっとりと首を傾げた。
今一つ意図を理解していないものの、気紛れで自由で、ゆえに愛らしい動物を見守っているような風情である。

「……もらいすぎ、ですか?」
「……どうだろう、花の瞳の君、一緒に食事でも!」

あまりに緩慢な彼の指を、小瓶と共に捕まえた。
それどころか、自分の方へと引き寄せて、その腰まで捕らえてしまう。
くるりと、社交の場での舞踊のように回ってみせながら、奔放な鳥獣の笑みをその鼻先へ近付ける。

「君の聴きたい物語や歌、噂話でも吟じてあげるよ?というのも、聴衆どころか話し相手にも欠いて、ちょっと退屈してきたからね!もちろんお代は私が出そう、それでやっと黄金の美味と君の瞳、黒猫のまじないに見合うだろうとも!」

矢継ぎ早とはこの事である。
誘う調子を見せながら、その眼差しは彼がうんと頷くことを疑っていない。


「食事……。………ですか…!?」

声音がワントーン上ずり、びっくりですと言わんばかりの反応をした。
彼女より多少背はあるし逃れようと思えばできる筈が、次の反応を選びきれず、手の中であわあわと持て余しているあたり、鈍くささが剥きだしだった。
それでも、軽やかな声音と共に飛び込んでくる誘い数々は、どれも見送るには惜しいものばかりだった。
図々しいのではないかという疑念と、好奇心がせめぎあって、暫くおろおろとその場で困惑した後。

「……そんな、とんでもないことです。天上の調べを知るバードの歌は、本来ならなににも代えがたいものの筈です。……ですが、もし良かったら、貴方の退屈が慰められるまで、傍で聞かせて欲しいです。」

そう控えめに告げて、やはり控えめに微笑むと、腰に回った腕を取る。
ゆっくりと、六弦をつまびく手を取れば、蜜の小瓶を握らせた。

「それから、もし…良かったら……」

そう言って、呪い師が切り出すのは、白い毛並みのミコッテのこと。
食事の席にたどりつくまでの道中、その仔猫を見たことがあるか尋ねてみるのだった。

  • 最終更新:2018-02-28 16:36:03

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