20180302

黒衣森南部。アンテロープたちがいななく声が聞こえる。
アッパーバスに店を構える酒場、バスカロン・ドラザーズは、今日もならず者どもが平等に平和に飲み明かしていた。
女詩人が、上機嫌に口ずさむ歌が聞こえる。

「……ただひとつ、動か、ぬ……星が、あ、るの……」

美しい歌声に男達が上機嫌で飲み進める中、酒場の入口に小さな人影が落ちる。
可能な限りそっと、ゆっくり足音を立てずに入ってくると、目立たない端の席に腰を下ろした。
白い衣服に身を包んだ、桃髪のミコッテは、しきりにその耳を揺らすと、目線だけを歌声の主に向ける。
マスターであるバスカロンを除き、客達は歌声と酒に夢中のようで、その存在に気付く者はいない。

「…………」

そして歌声の主も例に漏れず、巧妙に隠れる猫の気配には気付かなかった。
グラスと瓶を重ねる澄んだ音を楽器がわりに、歌い上げるのは北の夜空の子守唄だ。
背中が凝った男も、ささくれた指の女も、皆が一様に肩をほぐす。
真っ赤な髪を柔らかな灯りに揺らして、呼吸をするように五線譜を紡ぐ。合間に上等なワインを含みながら。

「つめたい、光を……探し、て……」

バスカロンはミコッテの願望を汲んでか、声をかける事もなく目立たないよう、彼女の前に酒瓶を置く。
ミコッテは礼の代わりに耳を揺らし、小さく顎を引いた。
杯に酒を注ぎ、耳を水平にして歌声を聴きながら、一口。
細い尻尾がくるりと回る。

囁きのように歌が止めば、次にはワイングラスが掲げられた。
遠くラノシアのワインポートから運ばれた、甘い香りの白い葡萄酒。店内の灯りと乾杯して一息に呷ると、女詩人は盛大な吐息とともに背を反らす。

「……はあー……!」

反りすぎて、うっかり背後の席に腰かけていた、桃色の瞳を見つけた。

「…………!!」

歌が止んだ事でたまたまそちらを向いた瞬間、目が合った。
二つの耳が直立する。
元々まるい瞳が更に丸まり、軽くパニック気味に顔の向きが右往左往した後、咄嗟に腰に下げていた本を持ち、開いて顔の前を覆った。

「…………」

結果的に視界を覆ってしまったミコッテは、その向こうで、女がにまーっと笑んだのを見落としただろう。
逃げられればとりあえず追ってみる女、ゾーイ。
彼女が高らかにヒールを鳴らして、見知らぬミコッテと同じテーブルに着くのも当然だった。

「やあ、こんなところでまで熱心だね。何を読んでいるんだい」
「…………」

本の向こうから、答えは返ってこない。
沈黙が続くが、やがてトーンの低い声が小さく聞こえた。

「……………………歌」

少しずつ、本を持つ腕が下がる。
徐々に現れるその顔は、整っているが幼い印象を与え、屈強な男達が集うこの酒場には些か場違いに見えた。

「…………もう、歌わないんですか?」

柳眉を片方引き上げると、赤く紅をひいた唇で、乙女のようなミコッテに笑いかける。

「おや、読書に耳の慰めが要るかな。いいとも、お嬢さん。リクエストはあるかな?例えば……」

踊るように立ち上がれば、その手には琴。
六弦をとろりと撫でて見せれば、音がこぼれ落ちる。

「太陽に近付きすぎた男、女神を愛した蠍、人に焦がれて絶えた竜。どれもが歌を持つとも」
「竜…………」

興味を引かれたのか、本をテーブルに置く。
それから、黒衣森で生産される酒の中で特に度が強い事で有名な目の前の酒を、水でも飲むようにごくりと口にした。
まだ警戒しているのか、顔の向きを逸らし、目線だけを赤髪のヒューランに向ける。

「イシュガルドの千年戦争を題材にした本は、星の数ほどあります。しかし、それらは全て、竜を恐れる人が、人の目線で書いたもの。 多くは似たような、ありふれた物語を綴ったものに過ぎません」

本の表紙を指でなぞりながら、ゆっくりと語り出す。
低いトーンで、語り部が話を読み上げるように、

「あなたの歌はどうですか。竜への恐怖や畏怖を詠いますか? それとも……」

ミコッテの飲みっぷりに、ひゅう、と歓声をあげる。
それを真似て女詩人が飲み干すのは、ミコッテが呷ったものほど度は高くない蜂蜜酒だ。
店主バスカロンが歌の前払いにと置いていった。

「恐怖や畏怖。悪くはないが、酔いが覚めるね。ここは酒場で、今宵の月は美しい。そうくれば、吟じるのはひとつだろ?お嬢さん」

とろん。
竪琴が甘く鳴く。

「恋の物語さ」
「恋…… ……それを題材にした物語の数は千年戦争の比ではありませんね。……ですが、竜の恋……ですか」

もう一口、杯を口にする。
そこそこの量が酒が減っているが、呂律ははっきりとしており、表情にも変化は見えない。

「……興味があります。 聞かせて頂きましょう」
「ふふ、きっと気に入るさ。杯の中身がすっかりなくなっても、もっと飲みたくなるくらいにね」

凛としたミコッテとは対照的に、酒気に体幹をふらつかせながらも、琴を奏でる指は確かだ。
静かな語り口に重ねて、朗々たる声が歌を紡ぐ。)

「星が6つの時代を重ねる頃。堕ちた竜、寄り添うこども。巨躯を守り、癒したのは、ちいさなちいさな命だった────……」



長き戦いに、竜は傷つき疲弊していた。
ついにその身が岩肌に凭れ、このまま朽ちるかと思ったその時、その口許に食べ物を運ぶ小さな生き物がいた。
竜がこれまで戦ってきた人間の、こども。
彼は幼くそれ故に、果てるばかりの化け物が、いとけないものに見えたのだ。
最初こそ警戒した竜だったが、彼らはすぐに打ち解けた。
子供はいつもこっそりやってきては、パンや果物、飴玉まで竜にくれてやった。
竜は子供の持ってくるものが珍しくて、楽しくて、翼が癒えるその頃まで、穏やかな日々を暮らしていた。



とろり。琴が鳴る。

「……竜がすっかり羽ばたけるようになったとき、子供は立派な青年になった。永きを生きる竜の目にも美しい丈夫にね」
「…………」

酒を飲む手も止め、時折両耳を揺らしながら、物語に聞き入っている。
目線だけでなく顔ごと、詩人の言葉が紡がれる唇に向けて、上目で覗き込むように。

そんなミコッテの瞳に、耳に、吹きかけるように、歌はさらさらと続いていく。
とめどない水流のようで、しかし甘くとろみを帯びていて、水草に絡んで塞き止められそうになりながら。

「そして青年の瞳にも、竜は美しく映っていた。赤銅の鱗も黄金の目も、彼には何より愛しかった。人の10年と竜の10年、あまりにも違いすぎる瞬間を、彼らは最上のものとして過ごした……彼らはいつか旅に出て、安寧の地を探そうと約束する」

とろん。琴の音が低くなった。
凍える谷間に堕ちていくように。

「……そんな青年は、ある日同胞である人間によって命を落とす。竜と通じた裏切り者を、炙り出す魔女の谷に堕ちて」

ミコッテの表情は変わらない。
が、物語の変化に合わせて、耳がぴこぴこと揺れる。
展開が変われば直立し、悲しい離別が訪れれば並行に伏せられ、まるで詩人の語りに呼応しているかのよう。
人と竜の恋物語もいよいよ大詰めか、ほんの少しミコッテがその身を押し出した。

「青年は、抵抗しなかった。誇りより、栄誉より、竜と育んだ愛を隠さず貫くことを選んだ。彼の身体は谷底に吸い込まれ、岩肌に食い破られ、雪に潰れて…………そこから飛び上がったのは、彼の愛した竜だった。青年が変異したのだと勘違いした人間は、竜を矢で、杭で、弾で撃ち落とす。竜の体も青年を追って、奈落に沈んだ。人々は彼らを同一視し、彼らの身体は谷底で、どちらともないほどに朽ちて化石になる。……死して一つになった、竜と人との恋さ」

物語が完結しても、ミコッテは暫く黙ったまま。
考え込むように腕を組んでいたが、やがてゆっくりとした、小さな拍手を送った。

「悪くなかったです。 琴に乗せる物語…… 本で話を読むのとはまた、違うものですね」

ほんの僅かに口元が笑みを作った。
杯の酒を、ごくりと喉を鳴らして飲み込む。
そして、再び何か考えるように腕を組んだ。

「ですが私が竜なら、処刑に関わった人間達を一人残らず屠ってから死にます。 多くの本で描かれる竜もそうするでしょうね。 最期の時、かの竜の胸にあったものは何だったのでしょうか」
「おや、見かけによらず随分と過激だね。……いや、いや。狩猟民族の君たちは、見た目以上に活発とも聞く、君みたいにおとなしく読書に傾いてるのが珍しいのかな」

悪びれもせず言ってのけると、ミコッテの乙女の顔を覗きこむようにしながら、詩人は当然のように距離を詰めた。
腰掛けてエールを頼むと、頬杖をついてにんまりと笑う。

「大事な者のためにすべてを焼き払う、それも愛だね。けれど、憎しみより失った悲しみが大きすぎる者もいるのさ。それこそ、もう爪を立てるちからもないほどに」
「……別に。恋慕を向ける相手が害されたとなれば、種族が何であれ報復くらいするでしょう。どうせ死ぬなら、憎い仇を道連れにする程度、竜なら造作も無い筈ですが。私には理解できませんね」

全く落ちないペースで酒を飲み進めながら、ふぅ、と小さく息を吐いた。

「……まぁ、悠久を生きる竜と言っても、我々人が思う程完全では無いのでしょうね」
「あっはっはっはっは!」

からから柔らかな喉を反らして笑うと、腕を伸ばして、店主が差し出すエールを受け取った。
早速口をつけて泡の髭だらけになりながら、酒臭い息を吐く。

「お嬢さんも恋をしたら分かるのかもしれない、し、ますます分からなくなるかもしれないね」
「むぅ…… ……わ、私は恋の経験が無いなんて一度も……」

ふい、と拗ねた顔でそっぽを向くと、桃色の尻尾も同じ方向を向いた。
わかりやすく図星を突かれ、両耳がひくひくと揺れる。

大人びてはいるが────否、実際は成人しているのだろう、それでも幼く素直な仕草は愛らしい。
勢いよく減る酒とは似つかない、少女のような。
尻尾の先を目で追いながら、詩人は思わず噴き出す。

「それは失礼したね!確かに、こんなところにお嬢さんみたいな愛らしい子が来たら放っておかれないだろう。好みはいるかい?」
「……は……?」

質問の意味がしばらく理解できず、呆けた表情をしていたが、やがてぴんと両耳が立つ。
ばっ、と辺りを見渡せば、酒に夢中で未だに自分の存在には気付いていない屈強な男達。
それらの顔を見比べている自分に気付いて慌てて顔を戻し、困った表情で耳を垂れ下げる。

「……し、知りません…… ですがとりあえず、筋肉しか詰まってないような人には近付きたくないです……」
「なるほどぉ?頭脳派やスマートなエスコートがお好みかな」

うんうん楽しそうに頷きながら、詩人は赤い舌先でエールの髭を拭って。

「王子さまや騎士のような、気高い紳士も悪くない」
「……い、いや、だから……男性がどうとか、知りませんから…… きょ、興味ないです……」

頭と両手を振って否定を示すと、尻尾の先は彷徨うように揺れ動く。
ぴしゃりと拒絶する言葉とは矛盾するように。

「何なんですか、あなたは…… 変な人です……」
「ちょっとくらい変わり者じゃなきゃあ、冒険者も詩人もやっていけないさ。そういう君こそ、酒場がまるでカフェみたいじゃないか?」

ころころ笑いながら、視線で尻尾の先を追う。
まるで正直で、素直で、そういえばウルダハで出会った呪い師もえらく純朴であった。
ミコッテという種族に可愛らしい偏見を持ちそうだ。
桃色のミコッテの杯に酒を注いでやりながら、麝香のように甘く笑う。

「変わり者同士、今夜は仲良く飲もうじゃないか。美味しい酒が真っ当に飲めそうだ!」
「私は別に…… ただ何か飲みたかっただけです。それだけの私にわざわざ構うあなたは相当変です」

杯に酒が注がれるのを見て、ふぅ、と息が漏れる。
が、やがて苦笑気味に笑って、詩人の杯にも酒を注いだ。
更に、店主にひっそりと声をかけて、何か注文を伝える。

「先程の歌のチップではありませんが、お付き合いしましょう。私のお気に入りのおつまみ、分けてあげます」

ただ何か飲みたい、で飲める酒でも量でもないけれど。
という言葉を詩人は飲み込んだ。
紅茶やコーヒーだってこんな消費のされ方はしないだろう。
注がれた酒に、店内のランプの灯りが柔らかな影を落とす。

「それは楽しみだね!愛らしいミコッテのお嬢さんと、美味しい酒、美味しい肴に乾杯」

杯を掲げると、軽く振ってみせた。
杯を交わす前に、ミコッテは一度手を止め、小さく笑みを見せる。

「……名前を聞いておきましょう、変な詩人さん」
「ゾーイ。お嬢さんは?」

杯の向こうで、麝香を纏う女が笑う。
語り部のような、凪の乙女に。

「サンシーカー、エ・レミナ。 あなたは変ですけど、あなたの歌はなかなか好きですよ、ゾーイ」

小さく頷いて、杯を交わす。
一口含んだ後、小さく微笑んで。
酒場の喧騒の中、また静かに飲み始めた。

  • 最終更新:2018-03-09 00:17:40

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