20180530

砂の都、ウルダハ。真上から少し傾いたばかりの陽射しが、石造りで整備された道を焼き付ける。
冒険者ギルド前には、乾いた土地には何とも贅沢な噴水があって、仕事の合間の一息に訪れる商人や冒険者が涼を求めてそこそこの賑わいを見せていた。

強すぎる日差しやまばらな雑踏を避けるように、建物の影の中を東方の装束の女が歩いていた。しかし、道の端を選んで物言わずただ歩いているだけにも関わらず、女は人目を引く外見ではあった。白妙を思わせる見事な白い長髪に、槍の穂先のように伸びた角、纏う衣服は艶のある赤。切り揃えられた前髪の下から覗く、銀に似た白と真紅の双眸は、目的地を目指して真っ直ぐに前を向いている。

「おら!さっさとブツを返しな!」

獲物を追い詰める愉快そうな男の声が響いたのは、そんなときだった。焼ける石路に投げ出される、痩せた女。裾の擦りきれた、貧相なローブを纏う体を、怯えたように掻き抱いている。
そんな女を取り囲んで、体格の良い男が4、5人、下卑た笑い声をあげた。そのなかでもいっとう身なりの良い、指に金の輪を嵌めた男が頭か。

「てめぇが俺様の店から、肉を盗んだのは分かってんだよ!なぁ?」
「そ、そんな……私、そんなことしてません!」

異国の女の眼差しが、ふと、人垣の向こうへ逸れた。規則的な歩みが止まり、喧騒の原因を探ろうとしている。

「このお肉だって……ちゃんとお支払いをしたもので……!」
「うるせぇ!てめぇみたいな貧乏人の難民が、そんな金を持ってるわけがねぇだろう!」

貧民の女の悲痛な訴えを、金の指輪の男が嘲笑う。
彼女は助けを求めて辺りに視線を巡らすが、その様子を遠巻きに見ていた者はそそくさと目を反らしてしまう。屈強な護衛を何人も従える商人に、無闇に歯向かう度胸も度量もないのだろう。貧民の女の顔が、絶望に青ざめていく。

「だ、誰か……」

「ブツも返さねぇ、金も払えねぇってんなら、あとは分かってるよなあ?」

笑みを張り付けたまま、金の指輪の男はまた一歩、貧民の女に近づく。

「てめぇが払ったと言い張ってる金の出所と、同じ稼ぎ方をすりゃあ許してやってもいいんだ!媚びるのは得意だろうがよぉ?」

金の指輪の男がそう言い放てば、護衛の男たちが声高に笑った。怯えと屈辱に苛まれて、貧民の女はきつく唇を噛んでいる。いよいよその女の腕を、護衛の男のなかでも一番の巨体が掴み上げて。

「おら、来い!」
「い、いや……誰か……!」

「待ちなさい」

女の悲鳴と男の恫喝と雑踏のざわめきを、真っ二つに断ち切る明瞭な声音。落ち着いていながらも、異を唱える事を許さない強い響きに、周囲に集まっていた人垣が避けるように開けていく。そうして出来上がった道を、女はさも当然のように歩み、彼等の前に進み出てくる。腰には一振りの刀を下げているようだが、何かしようとする気配は無い。

その凛たる声に、気だるげな護衛たちより不遜な指輪の男より、速く顔を上げたのは貧民の女だった。怯えで濁った目にいっぱい涙を浮かべながら、歩み寄ってくる異国の女を見上げる。
助けになるのかはともかく、この境遇を無視しないでくれることが何より有り難かった。

「わ、私、盗んでないんです……きょ、今日は子供の誕生日で。だから……」

喉に張り付いた涙声が、突如引きつった。貧民の女を黙らせるように、護衛の一人が掴んでいた腕を捻り上げたからである。

「あんだぁ?てめぇは……この女の肩代わりでもしようってのか?」
「肩代わりをするつもりはありません。しかし、彼女が本当に盗んだという証拠はおありなのですか?真っ当な証拠や言い分があれば、不滅隊に差し出せば良いだけのこと。無用な暴力を続けるというのなら、…貴方方こそ、その痛みを己であがなうべきです。」

声音は冷静であり、そして整った白面も一切の感情を浮かべてはいない。しかし、言い終わった刹那女の目玉は瞳孔を細くし、指が獲物の柄を握る。

異国の女の初動に、金の指輪の男はまったくもって鈍感だった。慌てた声を上げるより笑い飛ばすより先に、貧民の女を放り出した護衛が斧を掴む。

「この女!まさかやる気でいやがんのかぁ?」
「上品ぶりやがって……身ぐるみ剥いだ後もブってられんのか見物だなあ!!」

斧を掲げる男に続いて、護衛の男たちが次々武器を手にとって、剣を握る異国の女に詰め寄ろうとする。

が、それを凝縮された熱波が阻んだ。斧使いの男と異国の女から、残りの護衛を分断して、走る炎と見紛う紅色の尾が揺れる。

「……」

背後から迫った熱源に反応して身を躱そうとするも、それが自分では無く、相対する男達を焼いたと見るや、今度こそ女は己の武器を抜き放った。冷たく細められた双眸は、斧使いの男へと焦点を絞った。それは紛うことなく獲物を狩る時の獣の眼差し。華奢な爪先が、見目からは信じられない程に力強く石畳を蹴り、一足飛びに相手の胸元に飛びこもうとする。袈裟懸けに振り抜いた刃の切っ先が狙っているのは、明らかに相手の首だ。寸でで止める心算はあるものの、それもまた相手の抵抗次第。

どんな形であれ武人であるのだから、高速で抜き放たれた白刃に対して反応はできた。しかし、横柄な態度は、自身の腕への絶対な自信からくるものではない。今も仲間の助力をあてにしていたのが、突然の邪魔にあってそれが叶わない。炎の熱に煽られ怯んだことも合間って、浮き腰になった斧使いの男の足がもつれた。

男の反応が鈍ったのを見て取った女は、しかしその攻勢を緩めようとはしなかった。手の中で刀の向きを反転させるや、抜刀の勢いそのままに一切の容赦なく男の首を思いきり殴りつける。刃でなますにこそしなかったものの、何か硬いものが折れる音が悲鳴に重なる。殴り倒された男は、周囲で様子を見ていた烏合の衆に突っ込んでいって、そこでもまた新たな悲鳴が上がった。

「………」

まるで穢れを払うように太刀を振った女は、落ち着いた態度で、取り巻きの護衛と──そして赤毛のミコッテを振り返った。その様子に危惧や加勢の気配は無く、むしろ初対面だと言うのに信用しきった様子で、彼女が彼女の取り分を平らげるのを見守っている。

異国の女の、しろがねとくれないの瞳に映るのは、細剣から放たれた炎が護衛どもの衣服を次々剥いでいく様だった。身軽な動きのミコッテは、悲鳴をあげる男たちの腕を掻い潜り、跳んでかわし、ついでのように顔面を踏みつけていく。

「はん!はなっから下品なクソどもなんざ、剥いても見所なかったなァ短小どもが!」

鋭い怒気と共に悪態が吐き散らされた。得意とするのだろう魔法も、剣すら必要ないと判断したのか、ブーツの底をもう三度ずつ見舞って蹴倒す。立っているのは金の指輪の男のみで、それも震える膝ではいつまで持つものか。

「なっ……なっ、な、何しやがる……」
「おそまつなことね」

身ぐるみ剥がされて、挙句彼女の魔法の錆びにすらならなかったことに、冷ややかな一瞥を投げる。女の興味は、もはやチンピラ紛いの用心棒からは逸れてしまい、それよりはミコッテの軽やかで力強い身のこなしをうっとりと眺めていた。
やがて、最後の一人まで地面に伏したのを見届ければ、指輪の男に向き直った。

「一先ず、この方が心身に受けた痛みをお返ししたまで。申し開きがあるなら聞きますけれど、無様に足掻くだけならその口を閉じてお帰りになった方が宜しいかと。」
「何だ?ナンパ失敗の腹いせかよ」

不服げにひとつ呻いた護衛の横っ面を、蹴り飛ばして沈黙させると、赤毛のミコッテはつまらなそうに歩き出した。近くで呆然と座り込んでしまっていた貧民の背にそっと指を添えると、じろりと獣の双眸で男を睨む。

「“おそまつ”のくせに旺盛なこった。ちょん切られる前に消えな」

それから、異国の女の言葉をそれだけ真似して、にまりと笑んだ。唇から零れ出た牙は、指輪の男にはさぞ獰猛に映っただろう。

「お、お、覚えてろよ……可愛いげのねえ女どもめ……ッ!!」

自分の身を真っ先に省みたのだろう、男は護衛たちをどうこうするどころか、視線もくれないまま走り出した。残されたのは情けない裸体がいくつか、首が考えられない方向に曲がりつつ一応の息がある男、それから、なおもさざめく観衆のみである。

「……貴方方も、早々に消えてはいかが?理不尽な事態を前にして、こそこそと目を逸らした烏合の衆も、”ちょんぎって”やろうかしら」

今度は女の方が、彼女の言葉を真似てみる。真似て見ながら、カチャリと鍔を鳴らして太刀を握り直しながら、事の次第を見守っていた人垣に向かって微笑みかける。
美しい微笑みは鋼ほどに冷ややかで、真昼で暑いはずのウルダハに、雪風が吹き抜けた錯覚を起こした。
一斉に口をつぐんだ周囲の人々は、ひとり、ふたりとすごすご歩き去っていく。

「あ、あの……」

そんな中、か細い声が女にかけられた。結果的に助けられた貧民が、ミコッテに体を支えられながら歩み寄ってきたのである。

「お、お二人とも、ありがとうございました、本当に……どうなることかと……」

深々と頭を下げると、それまで耐えていたのだろう涙が、雨のように石畳に降りかかった。ぐすぐすと鼻を鳴らす貧民の女の肩を、ミコッテがぽんぽん叩く。

「良いって良いって。アタシはよくわかんないけど、喧嘩に混ざっただけだし。こっちの姉さんのお手柄だろ?」

男どもを散らしてみせた時とは打って変わって、人懐っこい緑の目が、異国の女の顔を覗き込む。

「理不尽と不公平を見過ごせぬだけで、貴方を助けたのは結果に過ぎませんが…。私からも礼を言わせてください。意図はどうあれ、助太刀感謝いたします……それに、見事な腕前も見せていただけました。」

微笑みながら、女はようやく剣をしまう。

「ええ?……そりゃあ、大の男が寄ってたかって、手ぶら一人抱えてる女相手するなんて、理不尽ってモンに見えたしさ」

照れたようにミコッテが頭を掻くと、上に伸びた耳が小刻みに跳ねた。それから、女の刀に視線をやって、小首を傾げて笑う。

「でも、実際そう理不尽でもなかったかな。姉さんもなかなか良いモン持ってるし」
「ふふ、貴方の助力があったからこそ、存分に奮えたというものです。それに、心の苦痛を実際の痛みに換算するならば…──あの位が妥当かと思いますよ。」

ちら、と視線をやるのは、不滅隊に引き摺られている斧使いの様子だった。首は相変わらずおかしな方向を向いたまま。ウルダハの大門を、他の隊士が慌ただしく出ていくのは残党を追いかけてのことだろう。

「クイックサンドで休憩をする予定だったのですが、お二人もいかがですか。この街は、女とみると舐める輩も多いと聞きます。宜しければ、手軽に”ちょんぎる”方法をお伝えさせてくださいな。……貴方もぜひ、先程の技や貴方自身のこと、とても興味があります。」

さぁ、とばかりに貧民の女に手を差し出す。子どもの誕生日だと言っていた女に無理強いをするつもりは無いが、次に目を向けたミコッテの彼女に対しては期待と好奇心の入り混じった視線を向けた。

「良いね!モモディさんとこのご飯好きだ!アウラも、刀ってやつももっと見てたいし」

ミコッテは、異国の女の誘いに食い気味に賛同した。よほど空腹だったのか、薄い腹を擦ったあと、貧民の女に視線をやる。

「お金なら、あとで不滅隊の連中から賞金せしめるし、気にしないでいいよ。……手が冷えてる、温かいもんでも腹に入れて帰んな」
「あ……」

恐怖で固まっていた体は、知らずに血の気を失っていたのだろう。すっかり冷たい指先を、おずおずと異国の女の手に重ねて、貧民の女はまた涙ぐんだ。

「……はい、では、お言葉に甘えて……」
「よーし決まり!何食うかなー」

貧民の女が頷くのを待ってから、ミコッテは歩き出した。目指すは冒険者ギルドも兼ねる酒場、クイックサンドだ。

背を押してやるようなミコッテの言葉に、賛同するように頷いて貧しい女に微笑んでやる。そうして、差し出された手を握り返すと少しばかり力を入れて、身体を支えるように引き起こした。クイックサンドに向かう様子は、そのまとまりの無さも相俟って目を引いたことだろう。

その道中で、ふとミコッテは振り返る。

「そういや、まずは名前からかな。アタシはタニャ。アウラの姉さんは?」
「タニャ、ですね。私はアシタヅ・ハバキリと申します。…お好きなようにお呼びください。」

軽く瞳を伏せて礼をする。やがて辿り着いた酒場では、モモディ女史に事の次第を離しながら、それぞれに一時の休息を得ることだろう。

  • 最終更新:2018-05-31 02:20:52

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