20180701

バイルランド島は東の海の都、リムサ・ロミンサ。
その美しい白い壁が、黄昏の青に染まるころ、街の中央の酒場から、海賊たちの陽気な歌声と笑い声が響いてくる。
エールをなみなみと注いだジョッキを打ち付け合う、乾杯の音とともに。

「――――でよォ、そこで俺が、追っ手どもを片っ端から蹴り飛ばして突破口を開くのよ」

酒場に集った若衆の真ん中で、大仰なジェスチャーを交えて語らうミコッテの青年がひとり。
丸椅子に片足を乗せ(後に酒場の主、バデロン氏にこづかれてこれはやめた)、
両腕を広げて自慢げに話すこの男は、この海都でも小規模な、ある海賊団の下っ端である。

ほろ酔い気分の彼は―――酒場の一席に見慣れない金髪の男が一人座っていることに、まだ、気が付いていない。
一方、金髪の男は、周囲の喧騒など意に介せずのんびりと頬杖をついて舟を漕いでいた。

「おいおいアステル、仕事はどうした仕事は」

呆れたように冒険者ギルドの顔役、バデロンが金髪の男――アステルに話しかける。
ぴく、と体が揺れ、ゆっくりと瞼があがって現れるサファイアの瞳。そのままとろん、とした瞳をバデロンに向けた。

「…してるよ」
「何処が、寝てただろ」

ふふ、と微笑むと、視線が若衆の真ん中で語るミコッテの青年に向けられる。

「みはり」

いかにも自分は仕事をしています、と言わんばかりにアステルは言う。相変わらずつかみどころのない男だ、とバデロンは深くため息をついた。

「サボりもほどほどにしないと、…お前の父親に言いつけるからな」
「やめてよ~…」

困ったように眉尻を下げて、カウンターへ戻るバデロンの背を見送る。
そしてそのままなんとなく、視線を再びミコッテの青年に戻した。


青年の視線の先で、冒険譚で盛り上がっていた青年たちの間に、にわかに剣呑な空気が生まれ始める。

「おいおい、話を盛りすぎなんじゃねェのか?リ・エベよォ」

もう一つ別のテーブル席から、ヒューランらしき長身の若者がミコッテの青年を煽る。

「さっきっから聞いてりゃ、テメェみたいなビビリが出来る芸当とは思えねェもんばっかだ」

若衆たちが振り返る。
どうやら、ヒューランの彼が陣取るテーブルの周囲は…ミコッテの青年たちとは別の海賊団の席らしい。

「………あ"ァ"ん"?」

先程までの笑顔が一変、眉間に深く皺を寄せて、ミコッテの青年―――リ・エベはヒューランの彼へどかどかと歩み寄っていく。

「おうおうこいつァ分かりやすい僻みだなァ。なんならここで一丁実演してみっか?」
「望むところだビビリのリエ坊。弟分どもの前でその鼻っ柱へし折ってやる」

どうやらこの二人、いがみ合うのはこれが初めてではないらしい
。が、おそらく酒場という状況で鉢合わせたのは最初なのだろう。
そろり、そろりと周囲の客が、二人から立ち退いていく。

「やんのかゴルァ!!」
「上等だオラァ!!」

アステルが、ね?という視線をバデロンに移す。
その視線を受けやれやれ、とバデロンは肩をすくめると、

「おい、お前ら!やるなら外でやれ!外で!出禁にするぞ!」

と今にも殴り合いを始めそうな若者たちを怒鳴りつけた。

ガシャン、とジョッキが床に落ちて割れる音。

バデロンの鶴の一声に縮み上がった若衆たちが、なんとかかんとか二人を店のそとへと促していく。
このケンカで大事な憩いの場が失われてはかなわない、という形相で。
舌打ちをし、胸ぐらをつかみ合い、そしてお互いガンくれあって店外へ退場していく二人――――と思いきや。

今度は店を一歩出たであろうその直後、扉の向こうからすさまじい騒音と、通行人の悲鳴が聞こえてきた。

アステルの席から数席となりで…常連客らしルガディンの男性がげっそりとした顔でため息をつく。

「仕事だぞ、イエロージャケット」
「…めんどくさいなあ」

バデロンが促せば、アステルは、やれやれ、といった様子で席を立つ。
わずかに扉を開き、そっと外の様子を伺った。
いや、言ったけど。バデロンはそうは言ったけど。
挙げ足取りも甚だしい光景が、そこに広がる。

溺れたイルカ亭とアフトカーソルを結ぶ橋の上で、先ほどの二人が罵詈雑言を交えながら乱闘を繰り広げていた。

殴り合い取っ組み合いは当たり前、周囲の樽が宙を舞い、はるか下の海へと落ちていく。
入れ替わりに一服を求めに来た海の男達がたたらを踏んで避けていく。
若衆たちは―――ある者はそそくさと逃げ、またある者はこれとない見世物に熱狂だ。

人混みの中央で―――二人は鼻から血を流し、顔に青あざを作って殴り合っている。

「わぁ、げんき」
「んなこと言ってる場合か、店の前が滅茶苦茶になる」

顔をしかめるバデロンに、アステルはそれはこまるねーと苦笑し、いってきまーすと手を振って外へでる。

「……あいつ大丈夫か?」

常連客のルガディンがバデロンに尋ねるが、バデロンは何も心配していないというようにふっ、と笑いエールをルガディンの目の前に置いた。


外へ出たアステルは、野次馬をすいすいと避け、見世物に熱狂する若者など意に介せず輪の中心へ歩んでいく。

「はーい、ふたりともー殴り合いはそこまでー周りの人にメーワクだよー」

全く緊張感の無い静止の言葉を取っ組み合いを続ける若者二人に投げかける。
いや、それで止まるわけがないだろう…という空気が辺りに流れた。
その空気の通り――というべきか、当人たちは男の声などまるで聴く耳持たず、お互いの顔面めがけて拳を繰り出し続ける。
通行人たちが遠巻きに、割って入ったアステルの姿へ目を配った。

「もー!二人ともー!喧嘩はだめだってばー!このまま続けるならイエロージャケットだよー!牢屋へぽーいだよー!」

と言いながら、更に二人へと近づく。もう足が、拳が届く距離だ。
彼の一言に、当人たちより先に若衆たちが飛び上がった。
転げながら逃げ出す者が一人、二人においやばいぞと呼びかける者が一人、首をかしげる者が一人。
だんだんと当人たちと周囲との温度差が広がっていく。

が、

「ざけんなテメェ逃げ足ばっかの癖してよォ!!」
「テメェこそ手口がいちいち汚ェんだよ!!」

当人たち、やはり目の前の相手に夢中で気が付いていない。
いや、もしかしたら気がついてはいるが、男の妙に柔らかな声色にから、彼らの危険察知能力的なそういうものが、働かなかったのかもしれない。
しかしおそらく、これが二人の運のツキだった。
嵐の前の静けさ。穏やかな海龍ほど逆鱗に触れれば恐ろしい。
それぞれの船長の言葉は、この時、ふたりの頭からすっぽりと抜けていた。

「んー……」

少し首をひねり、周囲の若衆ににこっと笑う。

「巻き込まれたく無かったら、少し離れてて」

笑っていない。声を掛けられた若衆は息をのんだ。
細められたサファイアの瞳は冷めていて、先程までの穏やかな空気は何処へいったのか。

「はーあ、弱い犬ほど、よく吠えて暴れる。ついでに頭もないから、自分がどういう状況に立たされているかもわかってない」

サファイアの冷めた瞳が二人を捉える。

「まぁ、僕もちょっと優しくし過ぎたかなぁなんて思っちゃうけど……だから、これが最後の通告だよ」

スッ、と顔が真顔になる。

「お前たち、いい加減にしろ」



ピタッ。



二人の動きが止んだ。
振りかぶった拳が。罵倒の言葉が。
ついでに、二人を見守っていた周囲全員の声までも。

自分の心音までも聞こえそうな静寂が数秒続いたのち、
二人の顔が、ゆっくりと、アステルの方へと向けられる。

その顔は、蒼白だった。
ようやっと気づいた、いや、気づいてしまった、というような、顔つきで。

「今すぐ喧嘩を辞めて、滅茶苦茶にしたものを全て片付けるなら見逃してやる。…まだ、やりたりないというなら」

挑発的に微笑みながら、腰に下げられたナイフケースをするっと撫ぜる。

「僕が君らの相手をしてあげようか?」


罵り合い、殴り合っていた二人、このときばかりはおそらく、互いに同じ感情をいだいただろう。



「この男に逆らったらやばい」



と。

拳を下げ、一歩、また一歩と後ずさった二人は、どちらからでもなく、転げるようにその場から逃げ出した。
次いで、他の若衆たちもやれ「待て」だの「置いてくな」などと叫びながら、各々の船めがけて走り去っていく。
今すぐ喧嘩をやめて……ものをすべて片づける、の部分は、あまりの恐怖で頭に入らなかったらしい。

「あっ、ちょっと、片付け……あーあ」

先程の冷めた空気はどこへやら、再び穏やかな空気が辺りを漂う。
野次馬達はほっとした様子で、散り散りになる。元の喧騒が戻るまでそう時間はかからないだろう。

「…終わったか」
「あぁ、バデロン。片付けしてーって言ったのに逃げられちゃった」
「どうせ脅かしたんだろう、…お前は素になると怖いからな」
「あはは」

やれやれ、と二人で顔を見合わせて苦笑する。

「まぁ、いいや…二人がどこの所属かはしってるから、お頭にげんこつしてもらおう?バデロン」
「そうだな…もしかして、あいつらがしょっちゅう喧嘩することも知ってたのか?」
「だからみはりって言ったじゃない」

ふふ、とアステルは笑う。

「じゃあ僕は、昼寝……、いや、これ報告しないといけないのか…めんどくさいなぁ……」

そう言って、がくーっと肩を落とすと、バデロンにいってくるね…と手を振り、トボトボイエロージャケット本部へ向かって行った。
人混みに紛れるまで、アステルの肩を落とした背を見送ると、バデロンはふーっと大きくため息をつく。

「本当……掴めないやつだ」


頭のてっぺんに大きなたんこぶを作った二人と、お詫びの品を携えて、それぞれの船長が溺れたイルカ亭にやってくるのは―――ここから少しあとの話だ。

  • 最終更新:2018-07-02 19:45:09

このWIKIを編集するにはパスワード入力が必要です

認証パスワード