20180919
黒衣森に拓かれた冒険者居住区、ラベンダーベッド。鮮やかな花が香り高く咲き誇るその場所は、晴れていれば穏やかに散歩が楽しめただろうが、生憎の小雨であった。
水を吸った土を踏めば、ぱしゃん、と軽やかな音がする。
真っ白な鱗が覆う尻尾が、一つの傘の下で二本揺れていた。くすくすと笑い合う声が曇天に響く。仲睦まじく並んだアウラ・レン二人の内、薔薇色を孕む女は、その手に使い込まれた魚籠を持っていた。
「この辺りかしら、ササメちゃん」
おっとりと、傘の下から緑の景色を見渡して、傍らを歩く蒼銀の女に囁く。
「はい、もうすぐですよ。楽しい人ですから、きっとソウビさんも退屈しません」
籠の代わりに簡単な作りの傘を持ちながら、もう一つの手で口元を隠し思い出すように笑う蒼銀のアウラ。
豪奢というわけではないが、比較的新しいとあるハウスを視界に入れると、その前で一度足を止める。
「此処なんですけど…… いらっしゃるでしょうか?」
この日、フリーカンパニーに与えられた小さな家にはアウラの少女しかいなかった。カンパニーのリーダーは、雨にかこつけてそれこそ、降ってわいたギルドの仕事に駆り出されていたし、その他のメンバーも各々の用事で外出しているところだった。いつも行動を共にしている青年もまた、珍しく一人で出かけて行った為、留守番代わりに残ることにしたのだった。そうした訳で、アウラの少女は一人、自分の部屋で糸車に座って覚えたての糸紡ぎに没頭しているのだった。かたことかたこと、びいーんびいーん。ホイールを回す音と、糸を引く弓鳴りが交互に続く。
「……あら」
薔薇色の瞳が瞬いた。顔を守るように聳えた一対の角は、優秀な聴覚器で、雨音に混じる微かな気配を聡く聞きつけたのだった。規則正しい、心音のような。
「うふふ、誰かはいらっしゃるみたいね」
「ゾーイさんが室内で静かに作業ができるとは思えませんが……」
蒼銀のアウラ────ササメは率直な違和感をそのまま口に出しつつ、隣を歩く彼女を傘から漏らさないよう、ゆっくりとハウスの扉の前に立った。
室内にいる誰かに聞こえるように、それなりに声を張って呼び掛けてみる。
「ごめんください。どなたかいらっしゃいますか?」
「………」
外からの呼びかけに、糸を引く手を止めて顔を上げた。水底のように深く澄んだ双眸は極めて落ち着いているが、愛想よくすぐに出て行こうという素振りはなかった。むしろ、どちらかと言えば外の様子をうかがっている。なにせこの家を訪ねる客というのは、今まで案外限られていたものだった。少し迷った末に、部屋を出てリビングを横切って、玄関の扉をうっすらと開いた。
「……はい。…お待たせして、ごめんなさい。」
細く開いた扉を覗き込むように顔を寄せれば、薔薇色の瞳に水面のような双眸が映り込む。
「……あら、あら。まあ」
それから、ソウビはとても楽しそうに破顔した。何せこんな偶然に、故郷である東方から遠く離れた地で、同族であるアウラ・レンが揃うことなどほとんど無い。
「可愛らしいお嬢さんね。……ササメちゃんが言っていた方、ではないみたいだけど」
無遠慮に、馴れ馴れしく、より角の先を少女に寄せれば、纏った香が鼻を撫でていく。
「まぁ……」
てのひらで口元を隠すようにして、ササメが金色の眼を丸めた。
「こちらのフリーカンパニーに所属されている方ですね? ゾーイさん、という方はいらっしゃいませんか?」
「……。」
まさかこのグリダニアの地で、同胞をふたりも揃って見かけることになると思わなかった。ぱちりとまたたいて、眼を丸くする。
至近距離に近寄られ、少し戸惑うように身を引きながら、二人の様子を交互に眺める。
「………、ゾーイは、いない。用事があるの…?」
身を引いてしまった少女を追うような素振りはなく、ソウビはただにまりと笑って、再度ササメの隣に落ち着いた。
「ふふ。ご用事、というほどでもないのだけど」
そう言ってソウビが掲げたのは、手にぶら下げていた魚籠だ。水っぽい匂いのするそれには、新鮮な旬の魚が入っていて、どれもこの辺りで獲れるものだった。
ね、と小首を傾げて、ソウビはササメを見る。
「おすそ分け…………と、もし料理が得意な方がいらっしゃるなら、調理して頂けないかなぁ、なんて。あはは」
ソウビと顔を見合わせて、少し照れ臭そうに人差し指で頬をかき苦笑する。
もう一度大人しそうなアウラの少女を見下ろして────この少女が応対に出たという事は、今は彼女一人なのだろうと推測した。
「このまま置いていくというのも味気がありませんし…… うぅん。……お魚、食べられますか?」
「………、……」
ソウビが持つ魚籠は、確かに濡れて水辺の匂いがしているようだった。
「……魚。ゾーイが…、喜ぶと思う。私は料理は少し…できるけど、魚を捌いたことは…無いわ。」
「そうなの。お若いようなのに、お料理ができて偉いわね」
薔薇の香りを纏うソウビは、幼い同族への興味を隠そうともせず、親近感さえ交えて、まじまじと少女を眺めている。
「うふふ。それなら、捌く練習にもなりそうね」
「どうでしょう? もしキッチンを使わせて頂けるなら、調理ついでに練習してみませんか?」
膝に両手をつき、少女を覗き込むようにして。更ににこ、と微笑んで付け足す。
「誰かと一緒に暮らしているのなら、その誰かのために料理の幅を広げておいて、損は無いかもしれませんよ?」
「………、………。ちょっと、待ってね」
少し考えるような素振りを見せたあと、角に指先を添えてリンクシェルを起動する。どうやら、ゾーイに確認を、エレルヘグに了解を取っているらしかった。やがて、数回の相槌の後に手を離す。
「……キッチン、使っても大丈夫って。魚の料理の仕方、分るなら…教えてほしいな」
控えめに申し出ながら、今度こそ扉をしっかりと開いた。彼女達を招き入れる為に、自分は通り道を開けるようにして脇に避けた。
開け放たれた扉の向こうの部屋からは、木材の香りがそよ風になってやってきた。新築独特の、真新しく、胸踊る家の気配。
ソウビはおっとり笑うと、雨で少し濡れた尻尾を左右に振って、水気を落としてから一歩進んだ。
「ありがとう。捌くだけなら得意だわ。……わたし、ソウビと言うの。よろしくね」
「私も、お刺身だけなら……。私はササメと申します。貴女は……?」
傘を収め、軽く水気を払う。少女に小さく礼をして、再びその顔を覗き込んだ。
「……ふふ、捌いてさえくれたら…、あとはきっと大丈夫。」
こくりと頷いて、彼女達が入ったのを確認したら扉を閉める。
「ソウビとササメね…。私はセイカ、よろしくね…。」
それから、こっちと伝えてから先立って歩き出す。カンパニーのメンバーで使う為の広めの台所に案内するのだった。ひとまず魚のさばき方を知らない少女は、二人の手際を興味深く眺めることになるだろう。自分でもゆくゆくは出来るようになりたいのか、時折小さな声で尋ねながら。
- 最終更新:2018-09-28 17:51:50