20181114

森の都グリダニアに内包された、冒険者居住区────ラベンダーベッドには、この日温かな陽光が降り注いでいた。少しずつ肌寒さを増す夜も増えてきた中、特別あたたかい今日と言っていいだろう。最近縮こまっていた花弁も、のびのびと広がるそんな時。

「本に囲まれながら誰にも邪魔されず自室で飲むイシュガルドティー…………格別ですね…………」

エ・レミナ・セスは、一人を満喫していた。

その自室には膨大な量の書物が、本棚には収まりきらず床に積み重なっているが、それを一切気にする様子もなく、片手に持つ本一冊だけにすべての意識を向ける。それを邪魔する者も咎める者もいない。フリーカンパニーのメンバーには何度も何度も何度も読書の邪魔をしないように言っているからだ。
頁をめくる音だけが聞こえる静寂の空間の中で、時折手を休める意味も兼ねて本を置き、カップに注いだイシュガルドティーを一口────基本的に無表情な彼女の表情も思わず緩む。

が、彼女はすぐに知る事になる。幸せ、平穏という言葉が如何に儚く脆いものであるか。

一方その頃、フリーカンパニーが所有する家屋のなかには、そこでは見慣れぬムーンキーパーの姿があった。真っ白な毛並みに、真っ白なローブ。あれこれ、どこそこ、色違いの瞳をきょろきょろ巡らせながら、真っ白な尾を揺らしている。ふと、ひとつの部屋の前で足をとめると、じぃと扉を見つめて。

「エ・レミナー!」

よく通る声が、木造のドアを貫いた。向こうの誰かを叩き起こしでもするような、そんな勢いである。

自室の扉の向こうから、自らの名を呼ぶ声がはっきりとした発音で、明瞭に聞こえてきたことで。

「…………………………………………」

返事がないのは居留守のつもりなのか、発するべき声も出ないのか。
とにかく、エ・レミナはこの世の終わりを思わせるかの表情で目線を本から扉へ移した。

「エ・レミナー!いないのかー?」

いるべき主人を探して扉をかりかり掻く子猫、ほど可愛いものであったら良かったが、生憎このムーンキーパーはもっと元気な、エ・レミナにとってはクァールにも近しい類いであった。
こんこん。こんこん。
呼び掛ける声と、断続的なノックが重なる。

「赤毛のひとが、いるよと言ってたぞ。寝てるのか?サンシーカーなのに?」

「……………………………………………………」

無言のまま、エ・レミナはすくりと立ち上がると、素直に扉へと向かう。
すると、その紅の瞳が片側覗く程度、僅かに扉を開き、申し訳程度の隙間からじとりと細めた眼差しで来訪者を見据えた。

「不在です。 それから、ゾーイには後で話があると伝えておくように」

一方的にそれだけ伝えて、がちゃん、と扉は閉ざされた。

「あっ」

いた、と耳と尻尾を立てたも束の間、エ・レミナの姿はつれなく扉の向こうに隠れてしまった。
が。白亜のミコッテ、ネムは止まらなかった。鍵が閉められるよりも先に、ドアノブに凶暴な指をかけ、開け放たんと力強く突進したのだった。

「こら!いるのに不在なんてどういう言い訳だ!」
「あーーっ!! 私の聖域が!!」

しなやかな肉食獣を思わせるバックステップで、勢い良く開放されたドアを避けたは良いが、無駄のない動きによって前傾姿勢で着地するその動きに似つかわしくない声が漏れた。
ようやく観念したのか、両脚を畳んでその場にしゃがみ込み、本まみれの部屋の中央で深い溜息を吐く。

「…………はぁ…………何故此処がわかったのです…………ネム」
「にゃ。エ・スミ様が、ここで世話になっているはずだからと」

関門を突破した高揚をそのままに、ネムはふんふん落ち着かなさげに鼻を鳴らしながら言った。楽しそうに耳が跳ねている。
いつぞや(無理やり外に引きずった)エ・レミナと行った鍛練は、あんまりに刺激があったもので、その名残か彼女といると楽しいと認識しているのだった。普段からは想像だにできないエ・レミナの、俊敏で獣じみた動きに驚かないのも、そのせいだ。

「届け物をしてやれと言われてな」
「……………………ジジイ…………」

ぼそ、と非常に小さな声が漏れた。ミコッテの特徴的な耳でも、届いたかどうかは五分だろう。
気だるげに立ち上がって、はじめてエ・レミナはネムとまともに相対する。

「…………で、届け物とは?」

真っ白な、右側の耳だけが、少し揺れたような。やはり聞き取れずに、何事かを問おうとして、先にエ・レミナの疑問に答えることにした。

「ギルドの蔵書だそうだ。探してたんだろう?」

ネムの大振りのポーチから現れたのは、厚みのある革張りの本で、インクと紙の独特な香りがする。大事に管理されていたのだろう。
それを惜しげもなくエ・レミナに差し出す。

「どれだけ読み込んでも構わないが、必ず返すようにとも」
「流石はエ・スミ・ヤン様。角尊の名は伊達ではありませんね」

極めて余裕のある動作で、平然と手のひらを返しながらエ・レミナは書物を受け取る。
本に関する事以外では絶対に見られない繊細な手つきで本を置きつつ、ちら、とネムの顔を振り返った。

「……それで、貴女は何故ここまで来たのです。まさか偏屈角尊のおつかいの為だけに来たわけではないでしょうね」
「にゃ……。……。……」

そうエ・レミナに問われたものの、本当におつかいのためだけに来たらしく、小首を傾げたネムの視線が右に左にうろうろする。
その際、本棚にも、床にも、ベッドや机の上にも、ところ狭しと置かれた本が目に入った。

「…………エ・レミナの顔を見に……?」

一度真っ直ぐに戻ったネムの首が、逆方向に傾げられた。

「………………………………」

呆れをベースに様々な感情の入り混じった、微妙な表情がネムに向く。
どうしたものかとエ・レミナが考えていると、ネムの法衣を見て、そういえば幻術士ギルドで彼女の指導役を不本意ながら請け負ったのだと今更ながらに思い出した。
高い本棚に向かうと、なんとかエ・レミナにも手が届く程度の位置にある本につま先立ちしつつ手を伸ばし、迷いなく取り出したグリダニア風の表紙の本をネムに差し出す。

「これを読みなさい」
「う……?」

素直に受け取って大事そうに手におさめたは良いものの、何故なのか、この本は何なのか、いろいろと訊きたそうな目がエ・レミナを見つめた。

「これは……?」
「白魔法について記した本です。大抵は禁書指定されますが、運良く免れた貴重品なので、慎重に扱うように」

ふ、と息を吐き、平然とした顔で述べるエ・レミナ。
単純な幻術の本ならいくらでもあるのですが、と積み重なった本のうちいくつかを指さしつつ付け加えた。

「幻術と共通する点もあるわけですから、学ぶ事も多い筈ですよ? もしかすると私のように、疑似的な形でも白魔法を模倣できるかもしれませんし」
「白魔法っ……!?」

尻尾が明らかに強ばって、慌てた本音が声に表れた。ネムは、放り出すわけにもいかないその本を、持った手ごとうろうろと上下させて。

「そ、それは、もちろん、間違いなく、勉強になるけど……禁忌の魔法の本を読むなんて」

いかにも生真面目な感想だった。
白魔法。癒しの魔法である幻術の根幹に通じる禁術。現代では角尊にしか許されていない大魔法だ。
────そんな魔法を、模倣できると言ったか?

「え、エ・レミナは、そんなこともできるのか?」
「当然無理強いなどしませんし、私はどちらでも構いませんが。 ────貴女は願いを叶える為に幻術を求める、と言った。だから、より早く願いに到達できるであろう手段を掲示した。それだけです」

エ・レミナは本棚に身体を向けたまま、無表情の横目でネムを見る。

「そもそも、禁術を模倣する事でギルドから疎まれるはぐれ者に従事するメリットなど、それしか無いでしょう? だからあの本を届けるなどという些細なおつかいも、わざわざ貴女に回されたのではないですか」

ぱたり。ネムの色違いの目が、ひとつ瞬いた。
思い返せば、師であるエ・スミ・ヤンを除いて、周囲がエ・レミナを見つめる視線はほんの少し遠かった気もする。彼女があそこに馴染まないのを、薄く理解した。エ・レミナはその知識への貪欲さを以て、彼らの禁忌に近付いているのだ。
ネム自身も、散々、口が酸っぱくなるほど禁忌を犯すなと言い含められているために、尻込みしている。が、この身は一度、錆で汚れて帰ってきた。
エ・レミナの言う通り、願いを叶えるための近道と言うなら、甘んじようと思った。あの男を守るために。

「……難しくは、ないのか?エ・レミナはどうやって、そんな魔法を使ってるんだ?」
「それは勿論、難しいでしょう。 角尊のみに継がれる伝説の禁術なのですから──── 私の場合は少し、変則技を使っていますが」

エ・レミナが片手の人差し指を立てると、その指先に光が灯る。 それは確かに幻術による癒しの魔法とは、異なる色を湛えていて。呼応するように、エ・レミナの紅の瞳、その片側が薄く発光した気がした。

「なのでケースが異なる貴女に、そのまま白魔法を会得する手段を示す事はできません。貴女にそれができるとしたら、その手段を見出す事ができるのは貴女のみです。私に可能なのは精々、その手段を見出す手助けだけ」

その言葉と共に、ネムの両手に収まっている書物を指差した。

俄に部屋を照らす仄かな光を、金銀の瞳が反射する。脈打つような、優しく肌を撫でるような、そんなエーテルの躍動を感じる。つれないふりをして放っておけない、聞いていないようで聞いている、我儘のようで利他的な、実にエ・レミナらしい光だと、思った。
指先を追って、ネムは本に目を落とす。

「…………とても、とても難しいことだな」

それから、青白い手が本の表紙を開いた。

「でも、やってみる。ありがとう。エ・レミナは正直で優しいな」
「何を馬鹿な………… あの偏屈角尊の頼みとは言え、受けた役目を半端な状態で放棄するのは後味が悪いだけです」

ふぅ、と小さな溜息を吐いたエ・レミナは、ベッドサイドに腰を下ろして脚を組んだ。
言うべきことは既に言ったとでも言うように、はじめに読んでいた書物を再びのその手で拾い上げる。

「まぁ、貴女と私では性質も何もかも違うのですし、貴女らしい手段から模索してみては如何ですか。 やはり以前私を巻き込んだ際のような実践が性に合っているのでしょう。 誰かとペアを組んで修練を積めば、何か掴めるものも無いとは言い切れません」

ネムの事だから、その提案には間違いなく飛びつくだろう。ようやく静かな読書の時間に戻れる、とエ・レミナは既に本を広げている。

「近接戦闘に長けた者というのは勿論ですが、更に癒しの魔法に心得があれば、その視点からの助言も可能ですからベストでしょうね」
「実践……」

紡がれるエ・レミナの言葉に、文字を追っていた金銀の瞳が輝きを増した。文字は読めるが、読書に馴染んでこなかったネムには、じっと瞑想して閃きを得るのは遠いことだ。しかし身体を使って呼び起こせる感覚があるのなら。
ネムは明るい顔を上げると、足音高くエ・レミナに歩み寄って────広げていた本もそのまま、がっちりとその手を掴んだ。つい最近まで剣を握っていた手は、見た目に反して、冗談のように力強い。

「エ・レミナは本当に良い師だな!」

彼女を引きずり回す気満々の笑顔で、ネムは一歩踏み出した。積み上げた本が災いして、扉までは一本道である。

「確かに、癒しの魔法に心得があって、狩りを知る身のこなしだ。心強いぞ」

「……………………は?」

奇しくも、以前と全く同じ反応だった。
当然だがエ・レミナからすれば自分から立候補したわけではなく、そもそも自分が提示した条件に自分が当てはまっているという発想が無かった。
が、以前の件で散々駆け回ったり飛び跳ねたりといった姿を見せている以上、ネムに言い逃れは通用しない。

「いやいやいやいや、人の話を聞いていたんですか貴女は? 私は外に出るなどと一言も言っていませんよ手を放しなさい手を」
「どうして!良い天気なのに!」

エ・レミナを半ば引きずるようにして、ネムは前進し続ける。こんなに外出日和で、手元には資料、そして頼れる師匠兼姉弟子がいるのだ。逃がすはずがなかったし、────きっと何だかんだ言いながら付き合ってくれるのだ。

「行こうエ・レミナ!この訓練が終わったあとなら、お礼に何でも手伝うから!」

とてもとても楽しそうな、なつっこくはしゃいだネムの笑顔だ。

「天気が関係ありますか! お断りです、私は今日一日ここで本を…………本を……………………」

ずるずるとエ・レミナの身体が扉に近づいていく。
本気で力比べをするなら結果がどうかはわからないが、少なくとも大事な大事な書物に囲まれたこの場でそうする意思は彼女には無い。

「手伝うと言うなら私の安息の時間作りを手伝いなさい! ネム…………ネムーーーーーーーッ…………!」

ぱたん、と扉が閉じ、ある種エ・レミナの望み通り、この部屋に静寂が戻った。
結局彼女が部屋に戻ったのは陽が沈み切ってからで、結果的に一日中静けさは保たれていたとか。

  • 最終更新:2018-11-15 11:21:44

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