20190114

蝋が炎に蕩けて一筋伝い落ちていく。物々しい書斎机に置かれた燭台は、煌々と灯りを楽譜に落としていて、ゾーイはそれを鼻歌混じりに眺めていた。
彼女の部屋には麝香が焚いてある。甘く誘うような香りはもちろんシーツにも染みていて、しかし今は錆のような臭さと黒く変色した痕も付着していた。くるまっているのは、アウラ・レンの少女。目立つところは一応拭いたものの、夥しい血はすべて落とすには至らなかったのである。
ともかく眠り続ける彼女の邪魔にならないよう、ゾーイは(普段の様子からは不気味なほどかけ離れて)静かに見守るのみに努めていた。

「んん……──」

先程までは呼気や心音を確認せねば死んでいるようにも見えたシーツの主──今はアウラ・レンの少女──が小さな声を上げてわずかに身じろぐ。
夢を見ているのだろうか。苦しげな様相の少女は時折うめき声を上げうなされている。

「……は、も……じゆ…………──だ!」

うなされながらうわ言を口にしていたと思われた瞬間、少女が勢いよく起き上がる。

「おや、」

少女の勢いにも驚く様子なく、ゾーイはのんびりと声を上げた。席を立つとベッドの側まで行き、その横に腰かける。

「おはよう、ナズナ。嫌な夢でも?」

勢いよく起き上がったと同時に周囲に目を向ける。
良い香りのする部屋は自分が囚われていた船倉でも、荷台でも──ましてや忌まわしき故郷でもなく。
混乱した頭で名前を呼ばれた方へ顔を向けると、昨日のことが思い出される。
命を救ってもらい、微笑みまで与えてくれたその女性へ少女は一つ頷いた。

「ア……おはようございマス……はい……嫌な夢、見ましタ」

夢のなごりを振り払うように頭を左右にゆるりと振ると、ナズナはベッドに座ったまま深々と頭を下げて。

「助けて頂き感謝いたします……ですガ……」

言外に『自分を助けて大丈夫なのか』と滲ませるように、紅の女性を見上げて。

「それはそれは。こんなに着心地の悪い服じゃあ、夢見も悪くなるだろうね」

ナズナが纏っているのは、血染めのサベネア式衣装。彼女が眠っている間にゾーイが着替えさせてやろうと言ったのを、ナズナの保護に関わったグユクがものすごい勢いで止めたのである。善意だって1割あったのに、失礼な話だ。ちなみにグユクは今、あれこれと買い付けに奔走している。
ナズナの視線を受け止めると、ゾーイはまた微笑んだ。知らぬ場所で、思いがけない扱いに戸惑う彼女を、安心させるように。

「安心したまえ。ここは砂漠から遠く離れた森の都だ。すぐ追い付かれることはないだろう」

それに、と。長い睫毛が、僅かに瞳に影作る。柔らかく笑む眼差しだ。

「追いすがってきたところで、彼らは鼠だ。鷹の前にはただの獲物さ」
「追いつかれても、ワタシ出来る限り返り討ちシマス……ですがご迷惑を……」

言いかけた所で『獲物』という言葉を聞き、自らを助けてくれたときのことを思えば腕に自信があるのかもしれない。
あるいは人身売買自体が歓迎されない風土なのか。
いずれかに思い当たった少女はそれ以上言葉を紡ぐことはせず、柔らかい女性の笑みを魅入られたように見つめた。

しかし、女性の言葉をうけ自身の姿を見ると、鉄錆びた匂いを放つ血染めの装束は、女性の寝台を汚していた。
気づいた少女は弾かれたように寝台から飛び降りると、そのまま床に座り込み、ベッドに腰掛ける女性の足元に頭を床につける勢いで下げ。

「申し訳ございません……! 寝所を汚してしまいマシタ……!」
「そう畏まらなくていいよ!興奮する!」

可愛いアウラに跪かれてしまうのは、正直とてもゾーイの性癖を刺激するのだが、シーツが汚れる程度何とも思っていないことで恐縮されても仕方ない。ナズナの頬を両手でくるんで、上向かせる。

「洗って落ちる汚れなんて大した事じゃあない。何なら君がやってくれるかい?」

女としてはずいぶん手入れされた容姿であるから、低い身分ではないだろうが、もしかしたら何か仕事のある方が落ち着くのかもしれない。緊張した様子のナズナの頬を、ゾーイはここぞとばかりに撫でまくる。

(──興奮……?)

少女の脳裏に一瞬ひらめいた疑問は、頬に触れる温かい感触にかき消された。
力に従って見上げれば女性の瞳と己の目が合わさってしまい無意識に頬を紅潮させてしまう。

「ア……はい、ワタシ、なんでもやりマス……!」

意気揚々と汚れたシーツを手繰り寄せ手にするが、すぐに困ったよう女性を見上げて。

「アノ、これをどうしたら、綺麗になるのでショウ……?」
「ふーむ?さて、お湯にでも浸けてふやかしたら良いんじゃないか?」

ゾーイ自身、汚れたものを馬鹿丁寧に洗うなんてしたことがない。買い換えるか人に頼むかだ。適当なことを言いながら、そうだ、とナズナから離した両手同士を打つ。

「風呂場が空いているから、使わせてもらおう。……ついでに君も、湯あみするといい。着替えは私のものを貸すから」

そう言えば、と少女は自身の姿を改めて見る。血の染み込んだ露出の高い衣装。露わになっている部分は拭われているようだが、髪の毛も所々ばりばりとしている。何よりこの鉄錆びた匂いが今は不快な気分を助長させている。この甘い香りを漂わせる部屋には似つかわしくない。

「ぜひ、お湯をちょうだいしたく存じマス……ええと……」

ここで少女は女性の名前を知らないことに初めて気づいた。もしも既に聞いていたら失礼に当たる。どうしようかと女性の顔を見つめてながら記憶を辿っていたがついに思い当たらず。

「ん?」

ナズナの手を引いて立たせてやりながら、何とも熱い視線に気付いて、ゾーイは嗚呼と声を上げる。

「そうか、君の名を聞いたっきりだったね。私はゾーイ。気軽にそう呼んでくれたまえ!」
「ゾーイ様……」

大事なものに触れるようにそっと呟くと、自然と唇がほころぶ。
立ち上がった勢いでそのまま風呂場まで手を引かれながら、空いた手でシーツを抱きしめながら。

「アノ、もうお一方……アウラ・ゼラの男性がいたと存じマス……彼の名もお聞きしても……?」

様付けで呼ばれるような身分は────もう捨てたはずなのだが、今はまだ良いだろう。そのうち様なんて付けているのが馬鹿らしくなるのは見えている。見えているなら行動を改めれば良いのにそうしないのは、もはやゾーイの性格だった。

「彼は、グユク・クルクという。今は君に要るだろうものを見繕いに行ってくれてね……」

そう喋りながら、風呂場のドアを開ける。浴室は二つあって、人数が多くても順に入って効率がよさそうだ。そのどちらの浴槽にも湯を溜めながら、ゾーイは無愛想なゼラ族の青年を思い出してくすくす笑う。

「あまり人と関わるのが得意でないようだけど、心根の優しい子だ。仲良くしてやってくれ」

ゾーイが浴槽に湯を張っているのを入口付近で見つめながら、盾と剣を佩いたアウラ・ゼラの青年を思い出す。血に染まったシーツをぎゅうと抱きしめながら、今度は何処か好戦的にも見える笑みを浮かべて。

「グユク様、デスね……ワタシの戦い、とても補助してくださいました。彼の方にも、お礼、直接言いたいデス……」
「なぁに。そのうち帰ってくるさ……」

十分な湯が溜まったところで、ゾーイは片方の浴室にシーツを放り込むよう指で示す。それから自分は、景気よく、躊躇なく、まさに神速で服を脱いだ。堂々たる裸身をナズナの前に惜しげなく晒して、もう片方の浴室に手招く。

「そうしたらいくらでも、どんなお礼でも出来るからね!さあほら、こっちこっち」

示された浴槽に近づくとシーツをそっと滑り込ませる。始めは浮いていた布も水を含むと次第に沈んでいき、湯の色がピンクがかったものへと変わっていく。
興味深げに眺めていたナズナだったが、呼ぶ声が聞こえれば慌てて顔を向けて。

「あ、ハイ……帰ってきたらお礼言います……!」

呼び寄せられた浴室に向かいすがら、慣れぬ衣装を脱ぎ散らかしていく。
布が皮膚に張り付いた箇所が剥がれると僅かな痛みが伴うがそんなことも気にせず、一刻も早く脱いでしまいたいと。
裸体を晒すのはさほど抵抗はないのかすっかり裸になると言われたとおりゾーイの目の前にたつ。

「……はぁ……」

思わず、ゾーイは熱く湿った吐息を漏らした。素直に目の前で露になったアウラの肢体は、この女にとってはご馳走に等しい。不満があるとすれば、その美しいからだが誰のものともわからない血で乾き、傷付いたことか。
ナズナの手を引き、湯船に誘い込もうとしながら、ゾーイは当然のように湯に滑り込んだ。ミッドランダーにしては背が高く豊満なゾーイの身体は、柔らかい皮膚しか見当たらない。

「ア、ちょっとお待ちくだサイ」

湯船を招き入れるゾーイの手をやんわりと振りほどくと、近くにあった湯桶に浴槽の湯を汲み、ゆっくりと頭から湯を浴びる。もう一度湯を汲むと今度は体を洗い流して。

「このままだと、ゾーイ様の入る湯も汚れてしまいマス、ので……」

全身から水を滴らせながらはにかんだ笑みを湯船の中のゾーイに向ける。
髪の水を絞ると、そっと向かい合うような形で湯船に滑り込んだ。

「気にしなくていいのにィ!!」

たまらずゾーイは叫んでナズナに飛び付いた。剥き出しの肌に鱗があたって、少し引っ掻く心地がするが、ご褒美だ。
アウラ・レンは、遥か遠く東方で生まれ育つ者が大半。あちらの文化に明るくはないから、一体どんな教育体系になっているのかは知らないが、こんなにもいじらしくて慎ましい生き物が出来上がるのはどういう理屈だろう。

「きゃあ……!」

いきなり飛びつかれるととっさに口に出たのは驚きの声で、なにやらあちらこちら撫で擦られている気もしないわけではないが、ここは西方の地。これが”すきんしっぷ”というものなのかもしれない。
納得してしまったナズナはそのままゾーイのなすがままになってしまった。

「いいこすぎるよナズナ~~~、そもそも君を綺麗にするついでに私もご相伴に預かりにきただけなのに~~~、私の心配をしてどうする……尊い……かわ……あっ、鱗……」
「鱗……! 角は削っていますが、かたいので、お肌が傷ついては、いけまセン……!」

急に思い出したのかゾーイの腕の中から逃れようと、そっと柔らかくしっとりとした女らしいその肢体を押し返して。

「良いんだよ肌はァ!治るからァ!!」

力強く返答すると、ゾーイはしっかりナズナの手を握り締めた。手の甲の鱗やら、反する指の皮膚の柔らかさなどを堪能して。
改めて、ナズナの角や鱗、髪や瞳、顔立ちを見つめる。儚げで美しい、白き小花のような少女だ。
声の勢いに負けナズナは固まってしまった。その隙きに押し返してた手を取られ握りしめられる。ゾーイのなめらかな指が自らの手を擦るたび、鱗と皮膚のあわいをなぞるたび擽ったさに肩を揺らして。

「しかし角は削ってもいいものなのかい?君たちの聴覚器だと記憶してるけど……爪をやするような程度なのかな……」
「顔の角は、そこまでではありまセンが……体の鱗は将来ワタシが奉仕させて頂く方が触れたとき傷つかぬようにと……家のしきたりで……」

『家』と口した瞬間、ナズナは瞳を伏せ右手を左肩に添える。まるでその先、少女の背に入れられた入れ墨を辿るように。

「ふむ……」

奉仕。しきたり。おおよその事情は掴めてきたが、はて『家』という言葉への反応が不可解だ。ナズナをこんな遠くまで連れてきたのは、家の者でなく人身売買をする悪党だ。売られでもしたのだろうか。
娘が身を売られる事自体は珍しいことではないが、痩せてこけた貧民の話だ。ナズナのように小綺麗な少女ではない。

「話したくないようなら良いんだけど、その刺青は……」

左肩の向こうへ、伸びない手を更に伸ばして肩にぎゅうっと力を込める。
先程までに見せたどの感情でもない、うつむいた横顔に明らかな怒りと憎悪を乗せて。

「ワタシが、ワタシの家の物であるアカシです……」

自らの身体を傷つける勢いで爪を立て握り込みかけていたが、ふと纏った怒りをゆるませて。

「デモ……でも、今はもう『存在』しません」

はっきり言い切ると、少女は顔の片側が隠れる髪型の奥、口の端に愉快そうな笑みを浮かべた。

そのナズナの表情を、黒い感情を────ゾーイはうっとりと見つめていた。いかにも清純そうなアウラが、白い鱗と共に纏う憎悪や怒りがあんまりに不釣り合いで、故に美しい。

「そう……そうか。存在しないものの証に意味はない」

ナズナの背を、よく手入れした指先でなぞる。それからすくい上げた湯で、ナズナの肩を洗ってやった。彼女の肌が渇きを忘れて潤っていく様を、血でぱさついた髪が解れていくのを、ゾーイはまるで芸術品のように見つめる。

「君は自由だ、ナズナ」

「じ、ゆう……じゆう……自由……ああっ……!」

己を窮地から救ってくれた美しき女性が言うのだから間違いない。”自由”という言葉を口にするたび素晴らしく甘い蜜を口にしているように感じる。
つるりと滑らかな指が入れ墨の入った背をなぞると身を震わし、少女は恍惚の表情で背を弓なりにさせた。

「ああ、そうとも。君は何を望んでも────何を欲しても良い。自らに由って生きるんだ」

その肌に、鱗に、からだすべてに染ませるようゾーイは吟う。羽ばたくような声音の、なんて軽やかなこと。ゾーイもまた、ナズナに似た微笑みを浮かべ、顔にかかる濡れた髪を避けてやる。

「そうだな、手始めに、甘いものを浴びるほど食べるのは?ふふ、君を見ているとのぼせそうだ……身体を拭いて、お茶の時間にしよう?」

ゾーイの謡うような声を聞いていると不思議と出来ないことはないと思えてくる。
湯に浸かったせいか、指先の甘い刺激によるものか、何処か頬を染めた顔で笑みを向けると頷いて。

「あまいもの……美味しいもの……それを食べるのも、モウ自由ですネ…ふふふ」

楽しそうに笑うと先に浴槽から上がり、今度はゾーイに向けて手を差し出して。

「これからよろしくおねがいします。ゾーイ様」

よく乾いた清潔なタオルで身を拭うと、二人は約束通りお茶の時間を楽しむのだろう。
少女は、エオルゼアの女性に供される見目も可愛らしいお菓子にいちいち驚き、楽しそうに笑顔を振りまくに違いない。

そう、哀れにも浴槽に浸かりっぱなしで、洗っても貰えなかった汚れたシーツのことは忘れて。

  • 最終更新:2019-02-12 02:48:20

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