Contact: Prosper, Seika

砂塵舞うザナラーンの荒野。日中は乾ききって、煙るように大気を満たすその風も、暗くなろうとしている宵の口では、幾分か熱を落としている。

それどころか、今男女が渡っている盆地の中の浅い水場には、ひゅうと鋭い、冷えた風が過ぎっていくばかりだった。
この辺りを闊歩している大きな蛙の魔物も、これが堪えたか姿は少ない。夜が深まり、風がさらに冷たくなる前にと、帰路を急ぐ二人にとっては有難い。身を寄せ合って丸くなるトード達の影は、さながらちょっとした小山か丘のようでもある。


じゃぶ、と、チョコボの蹄が浅瀬の水を蹴った。
ふいに首筋にすべりこんだ風の冷たさに身を竦めたアウラは、手綱を握るエレゼンの服の背を掴み直す。

「冷えてきたね……」

ほんの少し、わずかな声としぐさで頷いて見せて、エレゼンの若者は岩山の向こうへちらと目をやる。岩山の向こうでは、刻一刻と黄昏が夜へと変わりつつあった。

「ここを抜けて、ブラックブラッシュの停留所が見えればあとは真っ直ぐだ。……日が落ち切る前には、着けるといいんだけど」

水しぶきを上げて浅瀬を行くチョコボ。オロボンたちがわらわらと逃げていく。




―――その様子を、遠巻きに眺める何者かの影がある。




「……陽が落ちても、今日は……星も、見えそうに無いね」

チョコボの背に揺られながら、何とはなしに砂を撒き上げて翳む、薄曇りの空を見上げた。
その時ふと、岩場の影に人の影を見た気がした。特別に戦いの経験を積んでいる訳でもないアウラは、今一つ警戒も薄い。

「………冒険者……?」

首を傾げながら、小さな声で呟く。

だが、少しずつ昇ってきた月の光が照らしたその姿形は、冒険者というよりは少しばかり粗末で、粗野だった。
千差万別、多種多様、浮浪者と然程変わらぬ、とまで言われる肩書きとはいえ、これほどわかりやすく、野盗の姿をしているのであれば、流石に判別もつくというもの。
それを後押しするように、ぞろり、ぞろりと人影は増え、引き攣れるような嗜虐の笑い声が、二人の耳に聞こえ始める。

アウラの少女は、今までそれほど多くの人と付き合った訳でも、様々な場所を歩いてきた訳でもない。しかし、月明かりに照らされる身形や、企むような気味の悪い視線を認めて、彼等がなにか良からぬ者であることは察しがついた。
とりわけ、先頭に立っている男達には、どこか見覚えがあったのだ。悪い予感がして、エレゼンの服を掴む手に微かな力が籠る。

「プロスペール……」



「ひゃぁっはっはっは!おいおいガキ共よォ…おうちでママに言われなかったか?暗くなる前に帰ってきなさい、って」

岩場の上にひょいと現れた若者が、小ばかにしたような口調で二人をはやし立てる。
思わず舌打ちし、プロスペールが手綱を握り直す。振り切って逃げようと心に決めた矢先―――また別の岩陰から、細いナイフがチョコボの足元へと飛んだ。

「煙に巻けるとでも思ったか?随分と浅はかな」

…また別の男が、鋭く目を光らせて言う。動転したチョコボはたたらを踏み、二人はあわや振り落とされる寸前である。少女は、驚いて跳ねたチョコボの背から振り落とされまいと、咄嗟に少年の腰に腕を回してしがみついた。

「我等の仕事を邪魔した挙句、“商品”を持ち逃げとはな…さて、どうしたものか」

男はプロスペール、そして…背後の少女へと視線を向けた。
彼女はなんとか落下を免れたが、抱き付いた腕をすぐに離せる程に、危険に慣れている訳では無かった。ただ、値踏みするような言葉を受けて、はっと表情が強張る。

「………この人……、あの時の……」

それは紛れもなく、人買い商人のもとで働いていた男達だった。隠れるように彼の後ろに身体を寄せたものの、花色の瞳は道を塞ぐ相手を見据えていた。
その言葉を聞いて、プロスペールもはっと息を飲む。

「あの後ダンナも偉くおかんむりでよォ…大変だったんだぜ、俺達」

若者のほうはといえば、軽い口調の中にもはっきりとした脅しの色をにじませている。
彼を制して口を開くのは、統領と思しき大柄の男だ。

「プロスペール、と言ったか。……見た所、そいつを手荒に扱っている様子も見えないな。どうだ。今すぐここでそいつを返すというなら、命だけは助けてやる。他の仲間にも、今後君に難癖は付けないように言っておいてやろう。」

こちらとしては特別譲っての取引なのだが、と釘をさすように付け足して、男はフードの下の顔を、試すように睨んだ。

「いや」

交渉を持ちかけた男に対して、プロスペールが何か言うよりも先に、それまでじっと黙っていたアウラが声を上げた。先程までの、吐息で囁くような声とは違う。はっきりとした意思を持った、明瞭な声だ。
ぎゅ、とエレゼンの若者の服を掴み、しがみつき直して、その横顔を見上げる。
この展開を予想してはいなかったのだろう、統領の男も、若者も、肩眉を上げて目を瞬く。
周囲からはかすかにざわめく気配。

エレゼンの青年が、彼女の視線に視線を返すことは―――なかった。
けれどその代わりに、腰に下げた呪具へと指を添えて、

「…………だって、さ!」

瞬間、野党たちの足元に大きな水しぶきが跳ねる。しぶきは空中で細かな氷の粒になり、一同に一瞬の隙をもたらした。
その姿は、少し前の彼ならありえなかったものだ。おそらくいままで生きて来て、彼は初めてその呪術の才を、自分のためでなく、他人のために使ったのである。

「―――ッくそ」

統領の男は氷のつぶてをかき分けると、先ほどの様子からは一転。

「交渉決裂だ。力づくで奪い返せ!小僧の生死は問わん!!」

瞬間、大小さまざまの野党たちが、逃げ去るチョコボへと追いすがる。

アンホーリーエアーを南沿いに、チョコボが岸辺を目指して駆け抜ける。だが―――背後から雨あられと降り注ぐ矢やらナイフやらに、とうとう命の危機を感じたらしい。ついに彼は乗せていた二人を振り落とし、主の元へと逃げ去ってしまう。

「―――!」

チョコボの背から放り出された痛みに、少女は小さく声を上げながらも、傍を離れないようにすぐに青年にしがみ付く。野盗たちを恐れる様子はないが、離れるまいとする様子は懸命だった。威嚇するように、咽喉の奥でフーッと鋭い息が漏れる。

「我等を前にして、その度胸だけは褒めてやろう。小僧」

水の中に放り出された二人を、男たちが取り囲む。

「だが、少々悪戯が過ぎたようだ。大人を怒らせるものではない、さもなくば――」

ずぶ濡れになったローブを引きずり、ゆっくりと立ち上がった少年は、なおも呪具を手放そうとしなかった。
少女を制し、浅く息をしながら、再び構えようとしたその呪具を―――横から飛ばされた矢が鋭い音を立てて彼の手から弾き落とす。どぽん、と少し先で、唯一の武器が水に沈む。

途端、ずかずかと歩み寄った統領が、青年の頭をわしづかみにして、釣り上げるように持ち上げた。

「はは……こんだけ手荒な扱いの商人じゃ、皆逃げるに決まって…、…うぅ」

減らず口を黙らせるように指に力を込めて、男は背後に構える部下たちへ、ゆっくり視線を向ける。

その口が、やれ、と音を発するための形を作ろうとした――――そのときだ。



ひゅう、と一筋の風が、“落ちてきた”。



そう誰もが錯覚する。
夜闇に鈍く輝く、昏い黄金色の隙間から、煌々と威圧的に光る獣のような瞳を、青年は苦痛の中で確かに見た。

崖上から飛び降りてきて、頭領の男の後ろに着地したその人物は、水が跳ね上がる大袈裟な音のはじまりには既に、野盗の一人の襟ぐりを掴み、背負うように水中に叩きつけようとしていた。
それこそ蛙が潰れるような呻きを水泡にして吐いた野盗の手から、長槍のような粗雑な棒をひったくると、呆気に取られる周囲二百十度ほどの足元を容易く払い抜く。
うわあだとか、ぎゃあだとか、間抜けな声と盛大な水音が、三つか四つは連続して盆地に反響した。
その頃には、突然の闖入者が着地で上げた水飛沫はすべて水面へと還っていて、そして同時に、頭領の男は振り返りかけた身体を留める他なかった。

その闖入者――――長身のアウラの男が、首筋にぴたりと、たった今部下達を玩具のように転ばせた長棒の先端を当てていたからだ。

「その手を離せ」

突然の襲撃に、状況は一転した。青年を屠ったらすぐにも少女を引き据えようと、周りを取り囲んでいた男達は、水の中に転がっている。他に何人かまだ立ってはいるものの、圧倒的な力量の差を目撃し、統領と同じくただ武器を掴んだまま動くに動けないで固まっている。
水中に倒れ込んだような格好のまま、少女もまた呆然と長躯の男を見上げる。
プロスペールは、一瞬の出来事に、これは夢なのではないか、とすら思う心境で、霞む視界にことの始終を見ていた。

「…………」

アウラの男の、威圧的に釣り上がった眦が、頭領の後頭部から周囲の部下達に向けられる。
途端にびくついた仕草を見て、くだらなさに溜息を落としそうになる唇をぐっと噤み直すと、やはり彼の表情は酷く厳しく、攻撃的で、冷淡に見えた。固まる頭領の首筋を、催促するように軽く得物の先で叩く。

「離せ、と言っている。従わないのなら、こちらも相応の仕事をさせてもらう他ないが」

どうするのか、と沈黙が続ける。
脂汗をにじませて、統領はじり、と見開いた目を背後から刺す眼光へと巡らせる。

「貴様、何者………、…っ!!」

ぎこちなく、絞り出すような声を、無言の催促が圧する。

「………くッ!!」

手の平の力は抜け、黒髪のエレゼンは解放されてそのまま、水面へと崩れ落ちる。
ほらこれでいいだろ、とでも言いたげに、血の気の抜けた表情の男は、己の大動脈を捉えたアウラの男に再び目をやった。

「結構。では、次だ」

アウラの男は、淡々と口にするなり、空いた頭領の利き腕を捻り上げ。
躊躇いなく、たった今まで使っていた長棒を膝を使って半分に折ってしまう。人の上半身ほどの長さになったそれを、ベルトに提げていたらしいロープと組み合わせ、てきぱきと頭領の両腕を束ねる拘束具として完成させていった。


自らの頭が易々と捕まるさまを呆然と眺めていた部下達だったが、そのうちの一人が果敢にも立ち上がり、恐怖の入り混じった悲鳴のような雄叫びを上げながら、得物を失い無防備そうなアウラの背にナイフを振り翳し、飛びかかった。
――――が、しかし、その数瞬の後には、かくんと勢いを落としてべしゃりと水面に落ちるのみ。振り向きざまの勢いの良い回し蹴りが、綺麗に顎下に嵌まっては、意識を保つのは至難の業だろう。
使い込まれた様子の堅く濡れたブーツの革に、きりりと切っ先を滑らせながら、勇猛―――もしくは無謀―――な部下の一人はあっさりと撃退されてしまった。

「……大人しくしていろ。怪我を増やすだけだ」

そうして完全に周囲を沈黙させたアウラの男は、無表情のまま、エレゼンとアウラの組み合わせに視線を移す。

「君たちは怪我はないか」

顔面から水へと落とされた折、気管に水を吸い込んだらしい。プロスペールは数度咳込みながらよろよろと立ち上がると、改めて周囲、花色の髪の少女―――そして、眼前の長躯の男へと視線を巡らせた。

「あんた…………誰。…なんで」

ほんの数瞬、時間が止まったように誰もが動きを制されている間、アウラの少女もまた固唾をのんでその様子を見つめていた。

「……っ!」

しかし、エレゼンの若者が解放されると、水に手をついて立ち上がり、荒れた水底に蹴躓きながらもそちらに向かって駆け寄った。よろめく身体を支えるようにして懐に飛び込み、細い指先が濡れた胸元に縋り付く。
そして、まだ僅かに警戒の残る瞳を、アウラの男に向けた。誰、どうして、と。若者と同じ問いを、言葉以上に眼差しが語る。

「この男と同じ問いをするのか。…いや、当然の問いではあるな」

笑うでもなく、ふむ、とひとつ頷きながら、やはりてきぱきと無抵抗となった男たちをロープで拘束し数珠繋ぎにしていく。間抜けな隊列を組ませた後は、彼らをゆっくりと歩かせ始めた。
油断なく、その足取りが確かなことを監視しつつも、アウラの男は男女に声をかけた。

「これから彼らを近場に駐留する銅刃団に引き渡しに行く。だが、俺一人では道中この人数すべてを監視することは難しい。良ければ手伝ってもらえないだろうか」

事務的な内容をスムーズに告げた後、ぎこちない間を置いて、彼は言葉をつづけた。

「……俺が何者で、何故現れたのかも、そこで伝えよう。だが、…そうだな、このような目に遭った後では、警戒されても仕方あるまい。君たちが帰ると言うのであれば、…大人しく日を改めることにする」


彼の話を、最後まで聞き終えて、十数秒。
ようやっとこの状況が現実であるという感覚を持ち始めたらしい。わかった、と声と吐息とが半々ではあるが、たしかにプロスペールはそう答えた。

「よくわからないけど……あんたは、恩人だから」

そして、一度周囲を見渡すと、水浸しになってしまった己の呪具を拾い上げ、ばしゃばしゃと二人の元へ戻って来た。

「………」

アウラの申し出に対して、少女は小さな唇を噤んだままだった。その意思決定は、少女自身では無くて、エレゼンの若者の選択が優先された。それに、彼は確かに恩人でもあった。プロスペールが警戒を解いたなら、少女の警戒もまた張り詰めていた警戒の糸をほどく。が……。

「…………びしょ濡れ、だから。着いたら、少し……休ませてほしい……」

吐息を含んだ囁くような声音で、控えめに告げる。いい?とアウラの男を見上げて、少しだけ首を傾げた。

「――…………」

小さな体躯を見下ろして、無表情ではあるものの、きつい形をした眼が少しだけ、まるい形に変わったように、少女には見えた。
しかしそれも気のせいだったかもしれない、一瞬で男の表情は最初と変わらぬ色になった。

「ああ。勿論構わない。では、君たちはきちんと列から距離を取りながら、最後尾を見張ってくれ。何かあれば、声を上げてくれるだけでいい。始末は俺がする。危険があれば真っ先に逃げろ」

淡々とそれだけを二人の頭上に注ぐと、長い脚を使って男はさくさくと最前列へと向かってしまった。

そうして、少し先に闇夜に浮かび上がって見える、エーテライトの灯りまでの、短い、奇妙な行進が始まったのだった。









***




「ありがとう、冒険者の皆さん。彼らは最近噂になっていた集団なのです。小物ではありますが、いやはや、お恥ずかしながら確保しきれずにいたところで」

フェイスガードの下で、ぺらぺらと喋るデューンフォーク族の銅刃団の隊員は、そう言ってウルダハの本部へと連行されていく野盗たちの背を見遣った。
気の良さそうな―――こう言ってはなんだが、この組織の者にしてはやや珍しい―――彼は、無事にブラックブラッシュ停留所に辿り着いたアウラの男、そしてエレゼンとアウラの男女から、野盗たちを引き渡されると、短い手足でちょこまかと走り回り、迅速に手続きを済ませてくれた。
というのも、アウラの男の顔に見覚えがあるからで、しかし当のアウラの青年本人は、低いところにある隊員の顔に向かって黙って頷く程度で、素っ気ないものだったが。

「………助かった。……助かりついでに、少し、そうだな、布巾のようなものを貸してもらえないだろうか」

「布巾?……ああ、そちらさんですか。確かに、夜にその濡れ鼠じゃあ、風邪もひきますね。あちらに小さい宿がありますから」

ララフェル族は、特にアウラの女の方を見回した。しきりに頷くと、エーテライトの後ろにある建物を小さな親指で指した。

「わかった、感謝する。……」

男女を視線で建物へと促して、アウラの男は先に歩き始める。


アウラの少女は、銅刃団に連れられて野盗達の背が遠ざかっていくのを、ただ黙って見つめていた。
やがてその姿が闇に紛れてすっかりと見えなくなってしまってから、漸く、という様子で浅い吐息を零した。

「………」

そうして、自分を気遣ってくれたらしいララフェルに小さく会釈をしてから、アウラの青年へと視線を動かした。相変わらず、プロスペールの半歩後ろ、背中に隠れるようにして進み出す。




男は、宿の受付の男に一言、二言告げると、受け取った布を二人へ差し出した。

「ほら。……早く拭くといい」

「………ありがとう」

「………ありが、とう」

湿った黒髪を拭きながら、プロスペールは布の合間から、眼前のアウラの男の姿をちらと見る。
こいつ何者なんだ、とでもいうような視線は、見知らぬ人物への警戒心と……同時に、自分達の窮地を救ってくれた人物への、尊敬の念と好奇心を、はらんでもいた。

少女は、何度か布とアウラの青年の顔を交互に見た後、プロスペールが受け取るのを確認してから、そろそろと手を伸ばして布を両手に抱いた。
濡れていては気持ちが悪かったのか、顔の横からすんなりと後ろへと伸びた白い角を拭い、次に濡れた髪や頬をゆっくりと拭いていく。
その間にも、視線はじっとアウラへと注がれたままだった。警戒というよりは、単純にその動向を、次の言葉、動きを、見守っている風情だ。

「………」

二人がきちんと水分を除く様子を見て、ひとつ頷くと、どこか気が重そうに、男はふう、と息をついた。それから、懐を探って丸められた羊皮紙を取り出し、開くと、緑色の瞳がつと紙面に落とされる。

「……君たちが……プロスペール、と。セイカ……で間違いないだろうか」

「……!」

ぴょこ、と尻尾が持ち上がる。その拍子に、濡れた尾の先から水滴がわずかに散った。
“なぜ”と言わんばかりに目を丸くして、戸惑うようにしてプロスペールを見上げる。どう応えていいものか、迷っている様子がある。

碧い視線の先には、同じように硬い表情で押し黙るプロスペールがいる。
それはウルダハでの生活で身に付けたものか、はたまた彼が元来持っていたものなのか…自分の素性・身元の情報を明かすことに、若干の抵抗があるらしい。たとえそれが、命の恩人に対してでも。

「……人探し?」

おそるおそる、様子を窺うように、質問にそう問いを返す。

「……ああ。……君たちも冒険者ならば、各国のグランドカンパニーの名前くらいは聞いた事があるな?俺はその、不滅隊をはじめとしたカンパニーらから、この度、経験の浅い冒険者たちを保護、及び指導、支援するように指令を受けた者だ」

手の中の羊皮紙を回してみせると、確かにそこには三国の印章が記されている。真正面からじっと、戸惑う二人を見据え、男は真顔のまま、はっきりと言葉をつづけた。

「エレルヘグ・ノイキン、という。……支援対象の冒険者たちを探していたところ、その対象者……君たちが襲われているところに出くわした」

しかしそこまで言うと、目線こそ真っ直ぐなままだが、どこか迷うように、エレルヘグは唇を蠢かした。少しだけ音量を下げた声で呟く。

「助けた対価、などとは言わん。が、俺も、任務を受けた以上はきちんとこなしたいと思っている。同じ冒険者として、決して上下関係などというつもりはないが、できる限りの支援はしよう。また今のような目に遭った時に、撃退できる程度には、君たちを育てられる、はずだ。……さっきの今で、信用しろというのも難しいだろうが……共に来てはもらえないか?」

「………」

差し出された羊皮紙には、確かに三国のしるしが刻まれていた。
しかしそれは、少女にとって少なくともウルダハ以外のものはほとんど初めて見るものに等しい。
その国家の紋章が、どれほど重要な意味を持つものかは判断が出来なかった。
アウラの青年の迷う様な仕草をつぶさに見守りながらも、その言い方に何を言うでもなく、ゆっくりと身を引いてプロスペールの後ろに寄り添う。道理は理解できるし、その交渉の仕方に自ら迷う様は、むしろ慕わしかった。
ただ、彼女にとって、もっと重要で従うべきなのは、紙面にしるされた国の命でも、彼の言葉でもなくて。

「……私は、プロスペールと一緒なら、なんだって構わない。」

長躯の後ろで、「いつのまに冒険者になっちゃったんだろうね」と、呟く声は、存外に柔らかい。

一方で、羊皮紙から、す、と顔を上げたプロスペールは、一つゆっくりと瞬きをする。
紙面に描かれた三国の紋章のうち、黒地に金の天秤は特に見慣れたものだった。

特別な呪術師の家系に生まれたわけではない。力だって先の通り、満足に戦うには未熟すぎる。ただ偶然、幸運を重ねたウルダハにたどり着き、これまた運よくギルドに転がり込めただけの若者に、これからも時の神が味方するという保証はないだろう。

彼等に向けて、自分を迎え入れてくれたギルドの仲間や女主人が、“この子をよろしくね”と自分の背を押した気がしたのは、都合の良い思い込みだろうか。

「なに?……そちらの君は、冒険者ではないのか」

セイカの呟きを耳にするなり、エレルヘグは眉をしかめ、再度羊皮紙にじっくりと目を通した。が、書いてある文字は既に暗記に近いほど読み込んであるし、突然目の前で文が変わることもない。
まさか、ついでと言わんばかりに体よく、か弱い少年少女の保護を頼まれたのだろうか…、と考える。頭に過ぎる、到底食えない大物三人の顔に、やや長い溜息を吐き、それからはっとして彼はプロスペールを見た。

「……もしや、君もか?」

冒険者と言われても、遠い異国の地から連れ攫われて来たアウラは、ここで自分がどのように扱われるべきかはよく分っていない。さらなる強奪はともかく、保護に対してもあまり関心が無いらしく、エレルヘグの表情に少し小首を傾げる。
ただ彼の表情からして、何か予定外の出来事だったのだろう。今度はプロスペールをそっと見上げる。
困惑した表情の彼に、プロスペールは首をかしげて答える。

「……一応、モモディさんの手伝いや、呪術師ギルドで下働きみたいなことしてるよ。…正式にギルドに登録するには年齢が足りてなかったから、今は我慢してるけど」

彼は続ける。

「みんなと色々話して、僕の在り方には、自由に世界を廻って活動できる立場……冒険者って肩書が良いというのは分かったよ。それに、身一つで渡っていくには足りないものが多すぎることも」

じっと話を聞いたあと、エレルヘグは考え込むように視線を一瞬伏せ、頷いた。

「なるほど。これから冒険者となる、正真正銘の新米、ということだな。そういうことならば、こちらも支援に異存はない。……任務の有無に関わらず」

不器用な調子でぼそりと付け加え、それから手元の羊皮紙をまとめて懐へと戻しながら、プロスペールの後ろのセイカを見遣る。相変わらず仏頂面で、緑の眼は鋭いままだが、その実、浮かぶのはどこか心配げな色だ。

「そちらの君……セイカといったな。君も、冒険者になるかどうかはともかくとして。折角彼についてくるというのなら、護身術の一つでも覚えておくといいだろう。そういったことならば、俺にも教えてやれる」

不慣れそうに付け足された一言に、少女は微かに瞳を細める。
どうやら目の前のアウラは、プロスペールの意向を無碍にするつもりはなさそうだと、そのぎこちない一言が信じさせてくれた。それだけで、少女はおおむね満足だったが。

「……――…護身術…」

少し、身構えるような声。

「……刃や、弓は、好きじゃない……」

そろ、とセイカは長躯の影に隠れる。
しかし、彼女の硬い返答に気づいたのか気づいていないのか、エレルヘグはあっさりと頷いた。

「そうか。ならば、魔法か体術になるな。魔法はあまり得意ではないが、目の前の彼が居るのだしそちらは任せる。体術も役立つぞ。小柄な者でもやり方次第で、俺くらいの体格ならばひっくり返せる」

ほんの微かではあるが、どことなく、懐かしそうな、慈しむような表情になって、ほとんど全身がプロスペールの陰に入り込んでしまったセイカを眺める。
それから、怯えさせないように注意を払いながら、空の掌を見せた。サイズの差を示してみせるように。

「魔法……」

平坦な声音に、僅かな驚きが混じった。数度瞳をまたたいて、エレルヘグを見て、それから問いかけるような風情でプロスペールを見て。それから、まったく虚をつかれて理解が追い付いていない様子で、再度エレルヘグを見つめ返した。

「……私にも、魔法……使えるの…」

“本当?”と問い返すような眼差し。
差し出された手のひらは、少女のものに比べて随分と大きくて頼もしく思えた。長い指先はきっと武器を繰ることも、なにかを包んで守ることも、立派にやり遂げてみせるのだろう。
そういう、嘘の無い正直な手に見えた。
未だ身体の多くを、プロスペールの背に隠したまま、警戒心の強い小さな動物みたいに恐る恐る手だけを伸ばす。それから、長い指の先に、か細い指をちょんと触れさせた。
ちょん、ちょん。
と、確かめるように触った後、漸く一歩出てきて、そっと握り返す。ごく控えめな握手。
エレルヘグは、親しみ深い野生の動物たちのような仕草に、ふっと唇を緩ませた。今まで二人が見てきた中では、最もエレルヘグに表情が生まれた瞬間といってもよかった。

「使えるかどうかは、やってみなくてはな。だが、大抵のことは挑戦し、練習してみればできるものだ。そうして冒険していくのが、冒険者さ」

そう言って、――――彼からすれば子供のような――――小さな手を握り潰さないよう、やさしく握手を返す。
そっと手を放してやってから、ふうと緊張が解けたような息をつき、彼女よりは目線の近い青年の方を見る。

「では、同意が取れたということで間違いないな?」

セイカと握手した手を、プロスペールの前にも差し出す。

「俺は、君たちを支援し、守ろう。君たちは他のメンバーと助け合い、そうしていつかは、きちんと生き残れる冒険者となってくれ。そのために必要なことは何でも頼んでくれて構わない」

じっと、真っすぐに青年の眼を見つめて。

「よろしく頼む。プロスペール。セイカ」

緑色の目と、差し出された大きくたくましい手を交互に見て、プロスペールは一つ瞬きした。
卑屈で保守的で、憧憬を嫉妬と言い張るような彼だって、根の部分まで不貞腐れたわけではないようだ。
この男は、自分が今まで相手取って来た強かな大人たちとは、どこか違う。
美辞麗句でこちらを丸め込み蹴落とすような、そういう存在と対極にあるように感じられた。
だからこそ、プロスペールはその手を取ることを決めたのだろう。
大きさだけは近い、か細く間接の目立つ自らの手を伸ばす。

「………よろしく」

セイカは、先程と同じようにプロスペールの後ろに戻った。隠れるということではなく、そこが彼女の定位置らしい。まるで自分の巣に戻るような心境と、足取りである。
気兼ねなく懐いて寄り添うことはしないけれど、不要な警戒の無いごく自然な様子で、エレルヘグとプロスペールのやりとりを見守る。そして若者の、短いけれど、誰か他人を受け入れる為の言葉に、嬉しげに瞳を細めた。
それは当のプロスペールからは見えない場所での、秘密の微笑み。
少女もエレゼンに続くように、小さな声で囁いた。

「………よろしく…、ね…」

積極的ではないが、それでもまだ若くまっすぐな、瑞々しい心を垣間見せる二人の少年少女を見て、エレルヘグは再び頷いた。
自身の口下手さに呆れるでも飽きるでもなく、きちんと話を聞いてくれた素直さに救われつつ、彼らを立派に一人立ちさせなくては、と改めて胸中に刻む。
その第一歩としてまずは、と握手を終えた両手を差し出した。水分を吸ったタオルを迅速に受け取るためだ。

「では、これを返した後、ウルダハまで送ろう。夕飯がまだだろう?席が空いているうちに辿り着かなければ。食事にありつくのも、冒険者の必須の技術だからな」

抑揚が薄いのでひどくわかりづらいが、半分は真剣に、半分は気軽な冗談を飛ばしたつもりで、エレルヘグは微かに唇の端を上げた。



三人が無事にクイックサンドの空席を確保できたかは、また別の機会に語るとしよう。

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  • 最終更新:2018-04-08 14:40:59

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