20190522

エールポートを過ぎて、ラノシアの最西端。その入り江は『サプサ産卵地』と呼ばれ、サハギン族のねぐらになっていた。
サハギン族と言えば水神を信奉する“蛮族”で、海都リムサ・ロミンサの仇敵である。彼らが他の蛮族と異なる点は、海賊団『海蛇の舌』────人間を、協力関係という名目で配下に加え、テンパードと変えて使役していることだった。
哀れと情を見せるか、自業自得と嗤うか、あるいは。

海蛇の巣穴に二人の人物が侵入したのは、まだ陽も高い時間だった。まるで散歩でもするかのような足取りの男女。潮風に果実の甘酸っぱい香りが混じる。呪具を携えたミコッテの女────カ・エリゼは、その目に僅か、純粋な残虐を湛えていた。これからアリの巣に水を注いで遊ぼうなんて、こどもに見られる無邪気な殺意。ただその殺戮を為すのは、彼女ではなかった。

エリゼの軽やかな足取りを後について眺めながら、アラヴも続いて歩を進めていた。

彼もまた、その場の危険性にそぐわない気の抜けた様子で、目の前の果実色をその目に収め続けている。
腰から下げた長大な刀だけが、何やら物騒な雰囲気を醸し出していて。

当然のように、海蛇たちは招かれざる客へと敵意を向ける。水神の祝福を受けたがために、まともな思考などは一切残っていない彼らに、目の前の二人組がある種異様であるとの判断はできない。
侵入者は殺す。服や装飾品を剥ぎ、尊厳を犯し、命まで奪う。残虐非道の行いに、快楽以外の理由はない。
だからこそカ・エリゼは、この場所を、彼らを、えらんだのである。────消したところで意味のない者たちを。

「アラヴ」

蜜のように溢れる呪文のように、エリゼは彼の名を呼んだ。否、それは────命令だった。

カ・エリゼが囁くと共に、海蛇どもの斧が、銛が、矢が、不埒な侵入者へと一斉に向けられた。

呼ばれるまま、アラヴはエリゼの前に出ようとする。
その際に、彼女の首筋から髪を撫であげる様に鼻先を滑らせた。生臭い海の臭いを、エリゼで塗り替えてから。

「すぐ終わる。切れ味を御覧じろ」

耳元に短く声を残して、アラヴは名残惜しむように、ゆっくりとエリゼの眼前へ歩み出る。
敵の数は数えなかった。どうせ皆斬る事になる。

うなじを撫でていく男の気配に、そしてそれが業物の閃きに変化していく様に、エリゼはうっとりと声を漏らした。自分が手に入れたもののなかで、いっとう美しいと、そう思っても良いほどの。

まず飛び込んできたのは、だらしなく顎を垂らした斧術士であった。間抜けな高揚顔から繰り出されるのは、刻むというより叩き千切るための、重く武骨な一撃だ。
次いで高笑いとともに、銛の穂先が容赦なく突き込んでくるし、後ろでは弓術隊が幾重も矢を引き絞るのが見える。

斧術士の一撃はアラヴの持つ刀の鞘に弾かれ、その側面を滑り落ちる。振り降ろす勢いはそのままに、地に斧が突き刺さった一瞬、動きが止まった斧術士の顎を刀の柄尻が叩き砕いた。

続けて繰り出される銛を、翻した鞘で次々と弾き落としていく。銛を取り落とした海蛇の一匹を捉えると、素早く懐に潜り込んでその生臭い身を掲げた。
肉の盾を得たアラヴは、そのまま弓術士共の群れへ向かって行く。

放たれた矢は無惨にも、アラヴが掲げた海蛇の体を突き破っていく。悲鳴の代わりに喉からこぼれたのは、鮮やかな赤い色だった。
味方を撃ったにも関わらず、弓術隊の手は全く休まない。倒れる者には構いもしないで、むしろ役立たずは共に掃除してしまおうなんて魂胆で、刺青の顔はどいつもこいつも下卑た笑みを浮かべていた。

盾にしたのは勿論自分だが、仲間であろうものを無碍にした上の敵のその態度に、アラヴは眉をひそめた。

「気に食わんな」

そう呟いた声色は、いつもの様子からは思いも寄らないような静かで冷たいものだったが、エリゼには届いていないだろう。

肉の盾が弓術隊に放り投げられる。

その向こうで、アラヴは遂に刀の柄に手を掛けた。
ゆっくりと敵に見せたのは、いわゆる「居合」の構えである。

果実色の睫毛の先は、ひとつも上下することなく、アラヴの背に向いていた。
投擲された槍術士に巻き込まれて、海賊数人が倒れ込む。相当の手練れらしいアウラが、悠長に刀を構えるのを隙と捉えたか。弓を捨てて二丁のナイフを両手に、2、3人が距離を詰めた。

飛び込んでくる人数を確認して、アラヴはほくそ笑む。
それだけか。

緩く脱力していた全身の筋肉が連動して───一閃。

金属の擦れた音と、いくつか肉の爆ぜるような音が重なって、辺りにこだまする。アラヴの振るった刃が、向かってきた数人を一刀の内に斬り捨てたのだ。
斬撃の勢いに弾け飛んだ血肉が、一斉にぼろぼろと転がる。一度刃を閃かせれば、血脂がさらにそれに重なった。

「…………────は、ぁ……」

カ・エリゼの熱い吐息が、肉塊が地に落ちる音と重なった。何て鮮やかな切れ味だろう。アラヴの腕が良いのか、それとも刀という武器の性質か。実直なようで、暴力的。肉を裂き骨まで断つための凶器だ。

一瞬の間で行われた殺戮に、錆びた知能のテンパードもさすがに怯んだようだった。それでも、数人で敵わぬなら十数人。それでも敵わぬなら数十人。斧を、銛を、双剣を、矢を、ありったけ持って迫ってくる青い顔の波は、あまりに果てがないように見えた。

そして、彼らの圧倒的な戦力は、カ・エリゼにとっては行幸だった。だって、まだ、飽きていないのだ。

「アラヴ……!」

上ずった声音は、海賊に怯えるでも、アラヴを案ずるでもない。もっと斬り伏せろとねだる女の声だった。

エリゼの呼ぶ声にアラヴは答えない。
その代わりのように、刃がぬらりと鈍い光を放った。

改めて正眼に構えると、先程の一撃とはまた違った素早く鋭い剣で、次々と向かって来る者を斬り捨てていく。

まるでエリゼのリクエストに応え、見せつける様に。
その為かと思う位に、敵も次々と現れ、切り伏せられていく。

腕が落ちていく。胴が落ちていく。首が。足が。アラヴが一度刃を振るうごとに、無情に非情に、人形を千切るみたいに、人の体がただの物になっていく。鉄臭く、赤くなっていく海岸で、エリゼは────はしゃいで頬を染めながら笑っていた。自分のものが強く美しい。そのことだけが心を動かした。試し斬りに使われただけの当て馬なぞ、舞うようなアラヴを引き立てるためのものだった。

やがてその刀が、いっとう太い首を跳ねる頃、海蛇どもは死ぬか逃げたかですっかりいなくなってしまった。

何人斬ったかはとうに数えてはいないが、流石に息を切らして、アラヴは肩を大きく上下させ続ける。

一度にこんなに斬ったのは初めてかもしれない。
良く保ったものだと刀を眺めた。血と油ですっかりコーティングされてしまった様子の刃は、それでも鈍く輝いて、未だ獲物を求める様にも見える。
大した買い物だったと、この間の武器屋の一件を思い出しつつ、アラヴはようやくエリゼへ向き直って。

「エリゼ。どうだ」

返事より早く、アラヴの首をめがけて白い腕が伸びてきた。うっとりと微笑む唇が、ねだるように眼前へと差し出される。よく遊んだ少女みたいに、あるいはこれから享楽に誘う女みたいに、エリゼの瞳は煌々と輝いていた。

「ひどい臭い。血生臭くってかなわないわ……」

惨状をなじる言葉とは裏腹の、弾んだ声音が、どれほどアラヴが良かったかを物語っていた。
引き寄せられて、求められる勢いのままに唇を重ねた。
熱く解れたエリゼの唇からは、彼女の高ぶりが伝わってくるようだ。

辺りの血腥さを嫌ったエリゼの言葉に、自身へ多少でも降り掛かったであろう血脂の臭気の心配をしつつ。

「仕方ない。見ろ、波が真っ赤だぞ」

彼女の楽しげな様子を確認すると、漸く満足そうに一息ついた。

「あんたも……臭いわ。汗と血の臭い」

そう言いながら、抱き上げて運べ、とねだってエリゼはアラヴの角を握る。

「これだけ斬って、刀だけはまだ綺麗なものね。いくつかほしいわ」
「まああ……まて、待て」

近くに転がった死体の服で雑に刀を拭ってから、ようやくエリゼを抱き上げる。彼女の香を胸いっぱいに吸い込みつつ。

「何人斬ったか覚えていないが、あんまり斬ると駄目になる筈なんだがなあ……こいつは良い買い物だったな、エリゼ」

空いた側の手で刀を差し直すと、ぽんと叩いて見せる。
アラヴの腕の中に座って、させるがままにしながら、エリゼはその広い肩にもたれた。毛皮をあしらった服は良いクッションがわりで、いつも通り快適だ。

「あんたの扱いが上手いのかしら。それとも、よほど手に馴染んだのかしらね?」

意地悪く微笑むのは、アラヴが携える刀の銘に、例の一族の証が彫り込まれているのを知っているからだ。美しい指先で、アラヴの角を撫で、黒い前髪をすいて、顎を覆う鱗をなぞっていく。

エリゼの指に懐いて顔を寄せていたが、その言葉が含む意味に何となく気付いて、唇を尖らせる。

「……刀の扱いを覚えたのは、故郷を追い出されてからだし……関係ないし……」

うまく言い訳も付かないまま、撫でられる心地よさに甘えながら、来た道を引き返そうかと踵を返す。
アラヴの、生臭い上着のファーに顔を埋めて、エリゼはクックッと喉を鳴らした。その身に流れる血を否定できず、己さえ憎んでいたアラヴが、どうにか言い逃れをしたがるのが愛らしかった。とても気分が良い。
ブーツの厚い底が、もはや何とも分からぬ肉塊を踏んでいくのを眺めながら。

「……湯あみをしないといけないわね。服も着替えるのよ」

湯あみ、の言葉に、すっと首を伸ばして。
満面の笑みをエリゼに向ける。

「一緒に湯あみだな」

言いながら、もう一度エリゼの髪に鼻を埋めて香を吸いこむ。湯あみの後、その先にあるであろう営みに、心躍らせながら。

「いやね。味をしめて」

期待したアラヴの眼差しに勘づいて、エリゼは鼻を鳴らした。そういうつもりは微塵もなかったが、せっかく舞ってもらったばかりだ。彼がどうしてもと乞うのなら、応えてやってもよかった。
では、その場所は。沈む夕日を拝めるコテージでも良い、トップマストの一室で次の朝日を浴びるのも良いだろう。海の都へと向かう足取りと景色に────エリゼはふと、帰路を思った。
この高揚を誰にも邪魔されない、ふたりだけの空間を欲して。

「アラヴ。途中で市場に寄って……ワインとチーズがほしいわ」
「分かった。……沢山殺したし、いつもよりもギルを貰えるかもなあ」

口にした内容に反して、口調はいつも通りのアラヴの、呑気なもので。
ワインとチーズ。後は何か、甘くて綺麗な駄菓子があれば良いなどと考えつつ。
物知らぬ子どもをあやすかのような調子で、そうね、とアラヴの角を撫でる。

「それから、パンと卵。トマトとレタス。ポポトもね」

角に触れる指、そしてエリゼの口から零れる食材たちに心躍らせて。

「……エリゼ、もしかして……料理か?食わせてくれるのか??」

ぐう、と腹が鳴る。まったく忙しい身体だ。
目を輝かせたアラヴを、じろりと見下ろして、エリゼはその鼻先を指で弾いた。最近になっていよいよ図々しい。
これから向かう場所には、食料など置いていないから、ある程度買いためておこうと思ったに過ぎない。腕がなまらないうちに、簡単なものを作る程度なら考えても良いが────
エリゼはアラヴの角を掴んで上向かせると、睨む眼差しで碧眼を刺す。

「あんたに食べさせるためではないわ。欲しいのなら、もっと上手くねだって」

弾かれた鼻の先をスンと鳴らして。
辛辣なエリゼの言葉だったが、それらにはすっかり慣れている。うまくか、と、僅かに首を傾げて。

「……一生俺にめしをつくってくれないか?エリゼ?」

何処かの物語か何かで聞いたような台詞。
物語に使われるような言葉だ、きっといい言葉に違いない。

「いやよ」

アラヴの思惑とはまったく正反対に、エリゼはぶすくれて却下した。自分のものの分際で、亭主関白な求婚の真似事など。エリゼは不機嫌を露に、つんと鼻先を背けた。

「あたしはあんたのメイドじゃないわ」
「めっ……」

すっぱりと切り捨てられ、がくりと頭を垂れるアラヴだったが、すぐにエリゼへ向き直る。

「まて……待て、エリゼのメイドだと?」

その目はエリゼを見つめているが、意識は遠くにあるようで。
べしん。
巧みにアラヴの角をすり抜けて、エリゼの平手が炸裂した。

「何を考えたの?」

もう一度手を振り上げつつ、一応話を聞いてやろうと──既に一撃入れたあとでは優しさも譲歩もあったものではないが──物分かりのよさそうな顔で、エリゼは小首を傾げた。

「えぇ……」

突然の痛みと衝撃に呆然となっていたが、エリゼの問いにハッとした顔で。

「……何って……エリゼのメイド……メイドの……エリゼ……」

繰り返すうちに、また意識が彼方へ飛んでいく。
べしん。
もう一撃平手をいれて、エリゼはアラヴの腕のむずかった。

「降ろして」

ひとりで行く、と暗に脅して、エリゼは足をふらふら揺らす。不埒な妄想の具現に付き合ってやる気分ではない。

「ま、待て。靴が汚れるから」

片腕に載せていたエリゼを両手で抱き締め直すと、機嫌を伺うつもりか、ゆりかごの様にゆらゆらと揺らす。

「……ふりふりのメイド服も……似合うと思うんだが……」
「降ろして」

アラヴの勧めには応えず、いよいよ剣呑に視線を研いで、エリゼは低い唸り声を上げた。揺れる足がアラヴのみぞおちを軽く蹴飛ばしていく。

「どうせいやらしいことを期待したでしょう」
「し、してない!してないしてない!ただ可愛いと思っただけだ!!」

しきりに首を横に振っているが、実に分かりやすい。
暴れ始めたエリゼを抱え直すが、その度衝撃で体が揺れる。

「痛い!痛いぞエリゼ、こら!」
「ふん」

散々アラヴの胸や腹をいじめたが、放す気配を見せないので、エリゼは鼻を鳴らして収まった。海賊集団すら容易に切り捨ててしまえる彼が、エリゼには全く手をあげず、怒りきることもできないのが愉快で、少しは気が晴れた。
わざとらしく不機嫌な顔を背けて、エリゼは口をきかないことで、アラヴを焦らす。

「エリゼ~……」

漸く大人しくなったが、それでも不機嫌そうに顔を背けるエリゼの頬を、そのまま指先で撫でる。
撫でるのを許している内は、内心落ち着き始めている証拠だ。一緒に居るうちに、アラヴも大分学んできた。

仔猫でも撫でるような指先に促されて、エリゼの視線がアラヴに向いた。赤い波間の光を反射する瞳は、左右で微妙に色の違う甘酸っぱい色だ。

「甘いものも欲しいわ。あんたが稼いだお金は全部、今日のために使うから」
「甘いもの!俺も欲しいと思ってたとこだ、あの、ベッコウ飴とか!」

ようやくこちらを向いたエリゼにそう答えて、彼女のものと相反するような冷たい青色の瞳が輝いた。
最後に一度、頬から顎をすりすりと撫でて、唇に触れた。

「甘ったるすぎるわ。舌が子供ね……」

唇に触れるアラヴの指を、軽く食んで、舌先で押し返す。無邪気で不躾で、こんな図体だというのに少年のようだ。
問答にも飽きたのか、あるいは許す気になったのか、エリゼはアラヴにもたれて目を閉じた。

「いいわ、好きにしたら……ある程度揃えたら、あたしが言う場所に向かって」

まさに気まぐれな猫のようなエリゼ。ここで執拗に構ってもまたするりと逃げられるだろうと、一度気を取り直して。

「ベッコウ飴と、綺麗な色の……赤いマカロンがいいな。あと……」

指折り数えて、危うく眠りに入りそうなエリゼに問う。

「……あ。何処に行けばいいんだ、エリゼ?」
「秘密基地よ」

起きていると意思を込めて、すらりとした耳をひくつかせながら、エリゼは簡潔にそれだけ言った。道は物資を揃えてから、教えていけば良いだろう。寝入るつもりはないものの、全くリラックスする体勢で、エリゼは長く息を吐いた。
二人の去った後は、ただえさえ赤い海岸を夕陽が照らし上げていて、サハギンどもが飼い慣らす海獣が腹を空かせて上陸してきたのだった。

  • 最終更新:2019-05-27 01:58:57

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