Guns N' Roses5

外地ラノシアに据えられたキャンプ・オーバールックから北上し、遺跡郡を越えて、鬱蒼と狭い山道を魔導二輪が駆け上がっていく。鳴り渡るエンジン音に警戒してか、魔物や野獣の類いは遠目から見守ってくるだけで、ラファエルとソウビの旅はどこまでも順調だった。
オーバールックにて譲ってもらった食料や酒の入った紙袋を片手で抱え、もう片方の手は操縦手の腰に巻き付けて、ソウビは深くなっていく緑の気配を楽しんでいる。
人の気配ももはやなく、あるのは野鳥の声と、山々を縫う風、それから水が落ちる音。
ようやくバイクが止まった場所には、温かな湯────おそらく、ブロンズレイクに流れるものと出所を同じくするものだろう温泉────が滝のように流れ込んでいた。側には不思議と手入れされた簡素な小屋があって、しばらく滞在するには十分な、むしろ贅沢な空間になっている。
ソウビは改めて、その景色を見渡した。湯煙の向こうには山々を覆う霧が見える。

誰が何時から呼んだのか「隠者の庵」。
その名に相応しい周囲の様を眺めながら、ラファエルはエンジンを切ったバイクを母屋の傍に停める。

「……どうだい、なかなかいい景色だろ?結構、冒険者の中でも知る人ぞ知るって所でさあ……」

荷物を運びつつ、こちらに背を向けているソウビへ声を掛けた。その声色は彼女の機嫌を伺うようにか、僅かに上ずっていて。

隠者の庵は確かに素晴らしい場所だが、当初の目的地はワインポート、ブロンズレイク、そしてコスタ・デル・ソル。それらとの落差に、ソウビの機嫌を損ねてはいないかと不安があった。

そして現在のシチュエーションである。
魔導二輪は確かに高速を誇るマシンではあるが、ただでさえ短くはない道中に途中のあのトラブルのせいで、リムサ・ロミンサ出発からざっと数時間。陽はすっかり傾き、美しい山々の向こうへ沈もうとしている。
とても良い。良いシチュエーションだ。
だが、良すぎてこれを狙ったのではないかと、そしてソウビに警戒されるのではないかと───いや、なにも狙っていない訳ではないけれど───ラファエルは、一人で勝手にハラハラしていた。

ラファエルがあれこれ思案している矢先に、────ソウビの履き物がぽんと宙に浮いた。無造作に投げ置かれたにもかかわらず、行儀よく靴は草の上に納まって、現れたのは真っ白な肌と鱗が覆う滑らかな足。
着物の裾を摘まんで、早速温泉に歩き入るソウビの尾がゆらりと大きく揺れたようだった。

「……素敵。気持ちいいわ」
「……他の客も特に居ない……みたいだな。良かった」

何が良かったのか。ソウビに言うでもなく一人でぶつぶつ言いながら、ラファエルは荷を下ろす。
母屋の中は程よい生活感があるが清潔に整っていて気持ちがいい。利用者が誰ともなく清掃しているのだろう。

落ち着いて一息つくと、窓を開けてソウビの様子を見た。
彼女が湯の中へ進む度、湯の揺れる音が聞こえる。

つつ、と水面に波が浮かんで、溶けるように消えていく。ソウビがむやみに湯の中を歩きまわるたび、あぶくと波紋が遊ぶようだった。尾の先が湯に触れそうだ。
ラファエルの視線に気付いたのか、あるいは最初から気付いていたのか、ソウビは視線を上げるとおっとり微笑む。

「ごめんなさい、わたしったら。荷を下ろすのを手伝えばよかったのに」
「いや、とんでもない。それより気に入ったようで良かったよ」

ソウビの様子が変わっていない事に安堵しつつ、室内に戻ると紙袋から酒と食料を出してテーブルに並べる。
その途中で、あ、と思い出したように窓から顔を出した。

「ソウビ、身体は大丈夫?長い事バイクに乗ってて疲れてないかな。……腰とか、お尻とか……」

語尾の方は、若干小さな声で。

ラファエルの気恥ずかしそうな声に、きょとんと薔薇色の瞳が瞬いた。ほどなく可笑しそうに口許を手で覆って、くすくすと肩を揺らす。

「平気よ。気にしてくださってありがとう……」

僅かに細めた瞳の、意地悪そうな愉悦に、ラファエルは気付くのか否か。

「でも、さすがに体は強張ってしまったわね。一緒に湯あみでもどう?温まりそうよ」
「だろう?やっぱ慣れないうちはそう……」

ソウビの答えに食い気味にそこまで言って一瞬。
ようやく「一緒に」の言葉に気付いて、呆けたままの表情で静止する。
いや、無論いずれは、そのつもりではあるのだが。

「……酒と食い物の準備をしておくから。良かったら先に汗を流しなよ」

予想通りの反応に、ソウビはやはり楽しそうに笑った。二晩も過ごしたつもりでいるのに、何を躊躇うことがあるのだろうか。奥ゆかしいひとだ。

「そんなに良くしてもらうのも悪いわ」
「構わないさ、海の匂いがするって気にしてたろ?裏の沢でワインを冷やしておくよ」

ソウビに対してというより、まず自分を落ち着けようとしてそう言うと、部屋の中に引っ込んだ。

そう、夜を共にしている筈なのにこの気恥ずかしさは何なのか。ソウビの美しい……であろう肢体を思い出せない事と、何か関係があるのだろうか。
ラファエルは首を傾げつつ荷からワインを二本抜くと、母屋の裏へ向かう。

彼の姿が見えなくなった窓をしばし眺めて、ソウビはまた──今度は意地の悪い笑顔でない、柔らかな──微笑を浮かべた。
衣擦れの音をさせて、着物がアウラの肌を滑り落ちていく。

沢の綺麗な水にワインを浸して、ラファエルはソウビの姿が見えない事を確認する。

懐から取り出したのはシガーケースだった。金属製の表面には、ガレマール帝国旗が刻まれている。
紙巻煙草とマッチを一つずつ取り出し、徐に火を着け、咥える。
ソウビは煙草に対し特に嫌がるそぶりは見せなかったが、レディに対してのエチケット、というやつだ。
彼女は勧めの通り汗を流しているのかと、その姿を煙の中にぼんやり思い浮かべた。立ち上る先の空はすっかり陽が落ち、すでに星が輝いている。

ぱしゃん。湯の跳ねた。ふたりぼっちの閑散とした空間には、煙を吐く息、温泉と戯れる水音、互いが息づく証しか聞こえない。

ソウビは惜しげもない肢体を湯に滑らせて、ほうっと深く息をついた。海の中も好きだが、温泉もまた格別だ。潮の香りとぬめるような感覚を洗い落とせば、爽やかな風が髪を撫でる。
浴槽代わりの岩肌に体を預けて、ソウビは何となしに視線を巡らせる。遠く煙の香りがするから、きっと彼が煙草でも嗜んでいるのだろう。

煙草を深く味わって。
湯上りのソウビの身体を冷やしすぎるのも毒だと、ラファエルはワインの二本のうち片方を早めに沢から取り出す。

室内に戻ると、開けっ放しの窓の外から湯の跳ねる音が聞こえてきた。ソウビはまだ湯あみを楽しんでいるようだ。
その間につまみになるようなものを、小屋に備え付けの皿に切り並べていく。
チーズに干し肉、干し魚、珍しい山菜の漬物。豪勢とは言えないが、酒のあてには十分だ。

静かで豊かな時間に浸るのは久しぶり────否、今までにこんな穏やかな時間を過ごしたことはなかったかもしれない。ソウビは、長物を扱うために手のあちこちにできたまめを見つめた。槍を振るうのは好きだ。漁も。何せ自分が得意なことで、存在意義にも等しいこと。
真っ白な手と鱗が星空の下で湯に濡れているのを眺めて、あ、と微かに声を漏らした。目の前のお湯に夢中で、体を拭くための布を用意していなかった。

「……ラファエル?」

とってもらうしかないかと、温まりすぎた体で岩の上に腰かけながら、ソウビは小屋の窓に向かって声をかけた。

チーズの切れっ端を口に運んだところで、ソウビの呼びかけに気付いた。

「ごめんごめん。どうだいソウビ、湯加減は」

情けない男の習性か、無意識に窓の外のソウビの姿を探してしまった。湯けむりに周囲の灯が反射して、彼女の姿を「偶然」見ることは出来なかったが。

「何か体を拭くものをとってもらえるかしら。うっかりしていたわ」

彼になら、どこを見られようとも構わないのに。くすくすと肩を揺らしながら、半ば誘うように、ソウビは甘くささやく。

「ははは。俺も急かしたからね、今持って行くよ」

この湯けむりと暗さなら見たいものも見えないだろうと、半分残念に思いつつも、自分の荷から清潔なタオルを引っ張り出して。

「……ソウビ?どこかな?」

小屋の中の灯に慣れた目に、外の夜の闇は思ったよりも濃い。温泉の熱気に蒸された空気を感じながら、先程ソウビの声がしたであろう方向へ歩み寄っていく。

「ここよ」

何となくおぼつかないラファエルの足取りに、どうやら今の彼は視界が悪いのだと判断した。
ぱしゃん。白い爪先が水面をなぞって、草木の上におろされた。
星明かりさえ捉えれば、しなやかな肢体が闇夜に浮かび上がるようだった。温まった体を包んで流れる水滴が、きらきらと鱗を輝かせる。

星灯りがソウビの肢体に纏わる水分に反射して、光を放ったようだった。
そのシルエットを一瞬目で追って、慌てて自分の視界を遮る様に、大きくタオルを開く。

「……そ、そこにいたのかあ!すまない、目が慣れてなくって……」

あさっての方向に目をやるラファエル。わざとらしく大声で言いながら、「早く取ってくれ」と言わんばかりにひらひらとタオルを揺らす。

「……ふふっ」

くすくすと肩が揺れれば、髪から落ちた滴が緑に落ちて染みていく。ラファエルの手からそっとタオルを受けとると、アウラの小柄なからだを覆うように巻き付けた。

「そんなに恥ずかしがることでもないのに」
「……こういう風に見るのは、卑怯じゃないか」

どの口が言うのか、ラファエルは苦笑しながら、ソウビがその身をタオルで包んだのを確認して。
十分刺激的な姿だったがそれは口に出さず、小屋へ戻るように促した。

「さ、汗を流したのなら一杯いかが?すぐ飲めるように準備してあるんだ」

うっとりと薔薇色の瞳を細めて、ソウビは頷いた。
律儀で、真面目で、遊びで関係を持つなんてできない。ラファエルの口振りから改めてその性格をうかがうことができたし、純朴ともいえる彼は好ましくあった。畳んで置いてあった自分の服を拾い上げて、ソウビはラファエルに続いて小屋へと向かう。

「ありがとう。……あなたは良いの?お風呂」
「ん、ああ……勿論、俺も」

言いながら、自分の匂いを嗅いだ。
香水の匂いが強いが、汗臭い。ソウビを後ろに載せていたのを考えると少し恥ずかしく思える。

「……今日は色々あったしね。俺もちょっとさっぱりしてから一杯やろう」
「そう。…………」

少しの沈黙。ラファエルの背に、ソウビの額が触れた。顔を守るように聳える角の先を気にしながら、可能な限りに広く、彼の体にもたれて、すっと息を吸う。
山道を走りながら、ずっと近くにあった香りだ。香水と、煙草と、汗の匂い。少し油っぽいのは機械をいじったせいだろうか。

「背中、流しましょうか?」

背中に軽い衝撃。
それがソウビの額だと気づいたのは、そこから彼女の声が聞こえたから。

「えっ……んん?」

遅れてその言葉の意味に気付いて、思わず肩越しにソウビを振り返った。
薄い桜色の髪が、濡れてつやつやと光っているのが見える。

「……ふ。ふふっ」

悪戯に輝かせた目でラファエルを見上げ、ソウビは笑う。色男のように振る舞えなくなってきた彼をかわいく思いながら、そうっと身を放せば、二人の間に風が通った。

「そんなに重く受け取らないで。……おつまみに、ひと手間加えているわ。着替えもしてくるわね」

つるりと尾の軌跡を残しながら、ソウビは小屋へと歩き始める。

「あ、あー………」

ラファエルがまともに答える間もなく、ソウビは踵を返して行ってしまう。愉快そうに揺れる尻尾を目で追って。

「うん……呑んでいていいからね」

揶揄われているのか?
残念だったような助かったような、気の抜けた笑い顔で肩を落としつつ、短く応えて。

「待っているわ。ゆっくりなさって」

扉の手前で、またひとつ微笑むと、ソウビはするすると中へと入っていった。
こじんまりとはしているが、狭くは感じない室内。タオルで水滴を拭ってしまうと、ソウビは着物に袖を通して、古びたテーブルランプに火を入れる。
ラファエルがこまめに用意をしてくれた食卓は質素で、それゆえに、何より贅沢なご馳走に思えた。
手持ちのコショウの実をチーズにまぶして、炒ったウォルナットもつまみに加えて、ソウビはうきうきと窓の向こうの夜空を見上げる。

ソウビが母屋へ入るのを見てから、ラファエルは徐に服を脱ぎ始めた。薄汚れたレザージャケットにブーツ、ツール類を留めるベルト……傍の台代わりの石の上で、がちゃがちゃと音が鳴る。
全て脱いだところで、もう一度。
ソウビの目、それからほかの目が一切無いことを確認して。

次の瞬間、盛大な飛び込み音。
続けてラファエルのはしゃいだ声が、ソウビには聞こえただろうか。

びっくりして持ち上がったアウラの尾が、定位置に収まる頃には、ソウビは込み上がる笑いを噛み殺していた。目がなくとも角はあるのに、迂闊で無邪気な人だ。
何でも直せる手をもった、少年のようなひと。
────あの心を守れたらと、胸が温かくなるほど。

一通り跳ねて、潜って、それから疲れた体を脱力させて、ラファエルは湯面から顔だけ出した状態で夜空を見上げた。
一面の夜の中で、自分だけが存在しているような。

うっとりと自分の世界に浸りそうになるが、今夜は自分一人でないことを思い出して、慌てて湯から飛び出した。

「いやあ、いい湯だったね」

そう言って母屋へ戻ったラファエルは、装いこそバイク修理の際と同じような雑に纏めた髪にシャツの姿だったが、よっぽどすっきりと清潔に見える。
のんびりと星空を眺めていた薔薇色が、ラファエルに向いた。髪を束ねた彼とは対照に、いつもきちんと結っている髪を洗ったままに肩に流して、ソウビは小首を傾げて笑う。

「お帰りなさい。……ふふ、そうしてると、涼しげで良いわね」
「そうかい?君も濡れ髪がいつにも増して色っぽいよ」

今となっては滑稽さすら与えかねない気障なセリフを吐きつつ、ソウビの向かいの席に着く。

チーズに振られたコショウとウォルナットに気付き、うんうんと頷いて。

「いいね、豪勢になった。さぁ頂こうか」
「ふふ。今宵も良い夜になりそうね」

ワイングラスなんて洒落たものはなく、あるのは木製のカップのみ。そこにワインをなみなみ注いで、ソウビはラファエルに手渡した。

「お洒落なのも素敵だけれど……アットホームで良いわね、ここは」
「十分十分。目の前に君が居れば、どんな場所で何を飲もうが最高の美酒だよ」

気取った上に、傾けているのは木のカップである。ソウビが笑い出さないか不安なものだが───。

「じゃあ。二人きりのバイク旅行と、いい湯加減に。乾杯」
「乾杯」

ラファエルに倣ってカップを掲げれば、かこん、なんて間抜けな音が響いた。取り繕うようなラファエルの態度に耐えていたところでだめ押しを受けて、ついにソウビの笑い声が決壊する。

「っふ、ふふ。ふふふ」

ソウビの笑いに首を傾げつつ、苦笑して。
どうやらこの期に及んで、ラファエル本人はソウビが何を面白がっているのか分からないようだ。

「……ソウビ?ごめん、かっこつけすぎた?」
「ええ、ふふ、そうかも……だって、今更だわ」

ロマンチックな海辺のコテージでもなければ、豪華なロミンサンディナーでもない。静かすぎる小屋と何気ないつまみを囲んで、まるで良い女を口説かれるようにされたって。

「あなたの背から煙草の匂いがするのも、温泉にはしゃいでしまうのも、もう知ってるわ。全部を明かしてと言わないから、せめて隠さないでいて?」

にまりと笑うソウビの指が、おもむろに干し肉を摘まんで、ラファエルの唇に触れさせる。

「……だって、どうしてもカッコつけたいじゃないか。君の前だぜ」

ラファエルは何処かほっとしたような、それでいて気恥ずかしそうな、思わず漏れてしまった笑顔のまま、ソウビの干し肉を咥える。
彼女に色々とお見通しなのは半ば承知だったが、それでも今更止めるのは何だか恥ずかしくて。しかしこうもはっきりと言われると、そのまま続ける方が格好悪い。

「何も、隠してるつもりはないんだ……カッコよくいたかっただけで」
「つけようとしなくったって、格好いいわ。本当よ」

そのまま指で、ラファエルの額や前髪を撫でて、ソウビもつられたように顔を綻ばせる。器用な指先も、紫煙をくゆらせる横顔も、思ったよりも広い背も。何より快い人柄が、ソウビにとってはずっと魅力的だ。
ひとを正し、生かし、救うひとは素敵だ。────自分にはないものばかりの彼が、物珍しくて、羨ましくて、それ故の好感だと知りながら、まだまだ甘い夢に浸っていたい。

「ねえ。あのバイクで、どんなところを旅してきたか教えて。あなたの旅のことだから、きっと────」

そう話しかけるソウビも、おっとりとした、緩慢な動作を、どこかに忘れてきてしまったようだった。
それから小屋の明かりはずいぶんと遅くまで点いていて、聞こえる男女の声に色気はまったくない。ただただ飲み食いをして喋るだけの穏やかな夜を、天の明星が見つめていた。

  • 最終更新:2019-05-27 01:43:42

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